書評

2021年2月号掲載

宮城谷作品に感じるロマン

宮城谷昌光『公孫龍 巻一 青龍篇』

吉川晃司

対象書籍名:『公孫龍 巻一 青龍篇』
対象著者:宮城谷昌光
対象書籍ISBN:978-4-10-144461-1

 私が中国史に傾倒するきっかけとなったのは、人生の中で大きな岐路に立たされたときでした。歴史上の傑物たちの生きざまや言葉に、ヒントを求めたのです。熱狂的な『三国志』ファンだと書かれることが多いのですが、正確に言えば春秋戦国時代がいちばん面白く。あの時代の傑物たちの逸話が大好きなので、宮城谷さんの作品とは出会うべくして出会ったのです。
 初めて宮城谷さんにお会いしたのは、15年ほど前でしょうか。浜名湖畔にあるご自宅へうかがい、仕事部屋や資料室も拝見し。光栄にも、執筆の卓に座らせていただいたことは自慢です。
「小説を読むときは史実と照らし合わせながら、より楽しませていただいています」という話をしたら、「これを持っておくといいよ」と薦めていただいたのが、古くは春秋戦国時代以前の原始社会から、新しくは清の時代まで、文字通り、時代ごとの中国の地図が詳細に載せられている、全8巻から成る「中国歴史地図集」でした。大陸の場合、一度の天変地異で地形や川の幅、流れなどが変わって、数百キロも都市が移動することもあったようで、この地図集があると、作品の理解にすごく役立つのです。
 それともう一つが、司馬光が編纂した歴史書の「資治通鑑」。しかし、こちらは全編を通した邦訳版が存在しなかったため、原文、すなわち漢文で読むしかなく、諦めました。すると、次にお会いして、その報告をしたとき、宮城谷さんが「君の中国史への興味は、国境は越えないんだね」というようなことを穏やかにおっしゃったのが痛恨でした。
 そもそも宮城谷さんは既存の資料をそのまま保管されているだけではなく、ご自身で写経のように書き写したものも作っておられ、あの傑作たちが生まれた秘密の一端に触れた思いでした。「君も自分でノートを作ってみるといいよ」とアドバイスもいただき、以来パソコンに書きためていたのですが、あるときウィルスにやられ……。そのため、頼るは己の記憶のみとなりましたが、自分で蓄えた知恵や体力は決して奪われない。それこそが財産。これは自分の信念でもありましたが、宮城谷さんとの出会いやアドバイスを通じて、その思いがより強くなりました。モノなんて一瞬でなくなってしまうということは震災のときにも痛感しましたが、いまのコロナ禍にしても同じようなことが言えますよね。
 さて『公孫龍』ですが、この作品で描かれている背景は、いわゆるボスキャラがうじゃうじゃいる時代。すでに登場している恵文王(公子何)や平原君(公子勝)、その父親である武霊王(主父)……。さらに、実際に宮城谷さんの著作で主人公となったことのある孟嘗君や楽毅など、挙げていくとキリがありません。にもかかわらず、主人公の公孫龍については、周の王子だったという設定など虚実を織り交ぜた自由自在な描かれ方となっており、これが面白くならないわけがない。実際、読み始めると止まりませんでした。孟嘗君や楽毅はこれから本格的に物語に関わってくるはずで、そうなるとファンとしては『公孫龍』を読み進めながら、かつての『孟嘗君』や『楽毅』を読み直すという楽しみ方もできます。
 そして今回、あらためて思ったのは、宮城谷さんというフィルターを通して表現される言葉は、あの禅問答の波状攻撃のような場面でさえ、どうしてリアルに感じられるのか。それは、「知識」がただのそれではなく、「知恵」へと昇華されているからではないでしょうか。なおかつ、表現は削ぎ落とされているのに、増す円熟味。この物語がどこまで続くのか、ワクワク感しかありませんが、閉鎖的な状況下にある世の中を、高いエンターテインメント性と、骨太な宮城谷ロマンで、これからも楽しませていただきたく思っております。

(構成・用田邦憲)

(きっかわ・こうじ ミュージシャン・俳優)

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