書評

2020年12月号掲載

足の行方

阿刀田高『谷崎潤一郎を知っていますか 愛と美の巨人を読む

紗倉まな

対象書籍名:『谷崎潤一郎を知っていますか 愛と美の巨人を読む
対象著者:阿刀田高
対象書籍ISBN:978-4-10-334331-8

「卍(まんじ)」と言ったら谷崎潤一郎とJK、どちらを先に思い浮かべるだろうか。因みに後者が使用する「卍」は、いろいろな意味を集約した便利な言葉で、エモい、やばい、うける、かわいい......と同等なものであることは言わずもがな。私も何度か「卍」を使ったけれど、もう古いよ、と先日吐き捨てられるように言われ、腑に落ちず、未だにもやもやしている。
「取り敢えず使うことに意味があるよね」的な言葉が増えた結果、陰に潜んだ言葉があることに違和感や寂寥感を抱く人々が思い浮かべるのは、やはり前者なのかもしれない。
 それは置いておいて、本家(と思っている)『卍』を、谷崎潤一郎の作品を、今の人はどれだけ読んでいるのだろうか。恥ずかしながら私は殆ど読んでいなかった。
 本書ではこれまでの谷崎潤一郎の代表的な作品を取り上げ、阿刀田さんの辛辣ながらも愛のある解説が要所に添えられている。前半で紹介されている作品(『刺青』『少将滋幹の母』『痴人の愛』辺り)では、行間からにじみ出てくる谷崎の女性観に対して乗り切れないところがあったけれど、中盤・後半(『蘆刈』『細雪』『鍵』)に進むにつれて、題材や話の展開、構成や視点、彼自身の興味の対象の幅広さに、すごいなぁ、やっぱり後世に残る人は違うなぁ......という阿呆のようなつぶやきが増していった。
 私が本を読むときに気になるのは、書き手の目の動きだったりする。なじみ深いのは、顔から足元へと下っていく順序だけれど、谷崎はそこが異なっている。谷崎の目線を追っていくとその先にまずあるもの、綿密に、時に執拗に文中にちりばめられているもの......そう、足である。
 本書の谷崎作品に登場する女性の多くは、顔よりも脹脛(ふくらはぎ)や足先のほうが印象に残る(もちろんすべてではない)。谷崎の場合「脚」ではなく「足」にその興味が惹かれているのがうかがい知れる。「お前の足にはおぼえがある」(『刺青』)「(継母の足を見て昔の生母の足を思い出し)あの足もこの足と同じであったように感じた」(『夢の浮橋』)のように、谷崎は人相のみならず足相があることも見出している。世の中には多様な性的嗜好があるし、足に惹きこまれること自体は全く不思議ではないけれど(かくいう私も哀愁漂う中年男性の背中に惹かれる)、フェティシズムを越して彼にとっての足は、安らぎであり、記憶中枢を刺激するものとして君臨する。そんな熱量のある足へのまなざしの不気味さと気持ち悪さが、なんというか、とても好ましかった。
 人の足は、近寄ったり遠ざかったりと往来するものである。向かう足、去る足への情緒と想念を強く抱き続け、不安や期待を込めながらも、足の行方を、まるで心の行方として谷崎は見つめていたのではないか。たしかに足というのも、時に制御不能の象徴に変わり、暴れたり崩れたり、強張ったり和らいだり、水面のように実に表情豊かなものであったことを発見させられる。自分の傍らに置くには贅沢すぎる、そんな高尚な者(女性)に魅了されて、結果、飽きられ、呆れられ、心を踏まれ、自身の存在をも足蹴にされるような......鬱屈した自身のコンプレックスが立ち上がるたび、足は魅力的に出現する。的外れな見解かもしれないが、不遜ながらそう思うこと、そう思える遊びを与えてもらえたようで、私は更に楽しく読めた。
『武州公秘話』での、なかなか共感の得られにくい嗜虐性の高い性癖なども含めて、幼少期の谷崎にも何かしらの根源的な性の萌芽があったのかもしれない、と想像できたことも含めて。
 だからこそなのか、谷崎作品の中での"足早"な女性に惹かれる。生きることに地団駄を踏んでいて、他愛のないことでうっかりと逃げてしまいそうな、移ろいやすい情を抱きながらも芯の固さを併せ持つ女性は(それこそ『細雪』の妙子のような)、どの時代においても革命的で、まぶしい存在であり、その忙しない"足"がなんとも魅力的だった。
 登場人物らの放つ冗談や異常性を、遠すぎるかつての時代背景や流行り言葉、当時の常識や価値観に照らし、その感覚でもってぴったりと端を合わせたように読むことは不可能だ。理解し得ない余白がぽっかりと生まれる。一つ一つの作品を心(しん)から堪能しきれたのか? 取りこぼしの不安もそれなりに残ったうえで、それでも、谷崎の作品の一つ一つに溢れる、女性に対しての隠しきれない慈しみと、隠そうともしない軽蔑は、不思議にも、常に私を心地よく揺らしてくれる。
 こうした思いへと導かれたのも、阿刀田さんの軽快な合いの手(解説)があってこそのものであり、傍に寄り添ってもらいながら未読の作品を辿っていくのは、親に読み聞かせをしてもらっていた嘗(かつ)てのひと時にも似ていた。

 (さくら・まな AV女優・作家)

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