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書評・エッセイ

「生き方」の哲学

堀内みさ 堀内昭彦『カムイの世界 語り継がれるアイヌの心(とんぼの本)

香山リカ

 私は北海道小樽市の出身だ。小学校の授業でもらった「郷里の歴史」のプリントには、こんな説明が書かれていた。
「『小樽』という地名は、アイヌ語の『オタ・オル・ナイ』(砂浜の中の川)から来ています。『札幌』は、市内を流れる豊平川を『サト・ポロ・ペッ』(乾いた大きい川)と呼んだことに由来しています」
 空想力がたくましかった子ども時代、目をつぶると、現代の小樽や札幌の街が消え、川が作り出した平地にアイヌがチセ(住居)を作り、儀式で踊りを踊っているような映像が目に浮かんだ。
 しかし当時はそれ以上、授業でアイヌの歴史や文化について学ぶ機会はなかった(現在は学習指導要領で小学6年の社会科教科書に「アイヌに関する記述を盛り込む」ということになっているのだそうだ)。そのため、私の空想はいつもそのシーンだけで終わってしまうのだった。
 それから数十年。「アイヌについてもっと学びたい」と思って関連書籍を見つけて手に取りながらもなかなか知識を深めることができないまま、今に至っている。そのかたわらで、昨今は明治末期の北海道を舞台にした漫画『ゴールデンカムイ』の大ヒットにより、若者や子どもがアイヌ文化に興味を持つようになった。この春には北海道に大規模なアイヌ・ナショナルセンター「ウポポイ」もオープンの予定である。そのタイミングで、とんぼの本からアイヌをテーマにした一冊が出た。これは読まないわけにはいかないだろう。
 一読して、まず北海道の自然の荘厳さに息を呑む。山、森、川、浜、それらはたしかに私がかつて生活していた北海道の一部であるはずなのに、まさにそこに「カムイ(神)が棲んでいる」と思わされる奥行きがあるのだ。なぜなのか。それはもちろん、自然を撮影した写真の間のページにアイヌの歴史、文化、生活様式がふんだんにつづられているからだ。
 たとえば、アイヌのサケ漁の儀式「アシリチェプノミ」。アイヌにとってサケは主食にあたる大切な食糧だが、この儀式は豊漁を願うためのものではないという。本文のアイヌの言葉から引用しよう。
「いいかい。アイヌは豊漁や大漁を願わない民族だ。サケが上がってくれてありがとう。それだけだ。そこを勘違いしないでほしい」
 また、サケ漁で獲れたサケにとどめを刺すことは、「サケを送る」と言われる。利益や人間どうしの競争のためではなくて、食糧として必要だからその分だけを獲り、心を尽くしてその魂をカムイの世界へ「送る」。
 カムイが宿る自然には畏敬の念を抱く一方で、小さな存在である人間どうしは「何でも分け合う」。たとえ団子が一つしかなくても「みんなで等分に分ける。それがアイヌの精神なんだ」という。本書を読み進めていくうちに、アイヌとは民族であると同時に、「生き方」の哲学だとわかった。経済合理主義に毒された近代人が見ると「なぜサケをいっぺんに大量に獲る工夫をしないのか」「アイヌに大金持ちがいないのはおかしい」となるが、それはアイヌの「生き方」とは違うのだ。
 これほど豊かで、今だからこそ見直されるべきアイヌの世界だが、これまで歴史上、ふたつ大きな悲劇を経験している。ひとつは、明治政府による北海道植民地化や「旧土人保護法」の施行でアイヌの暮らしや言語、風習がすべて奪われ、禁じられ、差別を受け続けたことだ。そしてもうひとつは、そんな中でも生き残ったアイヌが自分たちの存在を主張し、やっと法的にもアイヌ文化の保護、さらにはアイヌが日本の先住民族であることが認められようとしている今、一部の心ない人たちから「アイヌなんてもういない」といった声が上がっていることだ。「生き方」であるはずのアイヌが、政治問題化してしまわざるをえなくなっている。
 そんな声の影響を受け「アイヌって昔の人たちでしょ?」と思っている人にこそ、ぜひ本書を開いてほしい。自然へのおそれと共存。先祖への感謝。謙虚さと分かち合い。「私に欠けているものはこれだった」と気づくはずだ。そして、私と同じように、アイヌの豊かな世界に触れたことが心からのよろこびをもたらすだろう。

 (かやま・りか 精神科医)

堀内みさ 堀内昭彦『カムイの世界 語り継がれるアイヌの心』(とんぼの本)978-4-10-602292-0