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書評・エッセイ

極端な格差社会を可視化する

フランソワ・リュファン『裏切りの大統領マクロンへ』

陣野俊史

 話題の本だ。
 著者のフランソワ・リュファンは、ジャーナリスト。フランス北部のアミアン育ちで、現在は国民議会議員を務める。アミアンと聞いて「もしや」と思う人は、フランス政治に関心のある人だろう。そう、現在の大統領エマニュエル・マクロンの出身地である。リュファンはマクロンと同じ名門私立ラ・プロヴィダンス校に通った。二学年上級だったらしい。決定的に違うのは、リュファンが学校の空気に馴染めず、距離を置いたのと対照的に、マクロンは当時から華やかなスターだったということだ。秀才の名を恣にし、周囲からの称賛を浴び続け、とうとう大統領にまで上り詰めた男......。この本の中で「あなた」と呼びかけられているのはマクロン。つまり、リュファンからマクロンへの辛辣な(むろんフランス人らしい皮肉と諧謔たっぷりな)手紙がこの書物を作っている。で、読者はどっちに肩入れして読むか、というと、それは圧倒的にリュファンだろう。たとえばこんな一文。「サッカーは僕にとって、子ども時代の幸福を表している」。だから、「二兆ユーロもの総生産高がある豊かな僕たちの国で」「お金がないせいで、スパイクシューズを履いてボールを蹴ることができない子どもがいるなんて事実は、ぜったいに我慢できない」。評者がサッカーファンだということを差し引いても、ぐっと来る台詞ではないか!
 そう、フランスもまた、極端な格差社会だ。そしてマクロンは就任以来、ずっと富裕層を優遇する政策を連発してきた。それらの詳細については本書に譲るが、フランスでは、日刊紙の九〇%、テレビ局とラジオ局の五五%が、十人の大富豪によって分かち持たれている。実に嘆かわしい事態だし、もし作家アルベール・カミュが生きていたならば「この不幸な国の恥」と呼んだに違いない。マクロン大統領は、彼らを繋ぎ、自身、この富裕な共同体の中にぬくぬくと生きている。一人の銀行家にすぎず、政治的地盤のなかったマクロンを大統領にまで押し上げたのは、人に取り入って人脈を作る能力だ、とリュファンは断言する。「何の価値もないと、自分をカスだと見なす、あるいは他人からそう見られたことは。そんな経験があるだろうか? ないだろうね。それはよかった。本当によかった。僕は皮肉で言っているのではない、嫉妬も全然ない。ただ同時に、あなたにはそれが欠けていると思うのだ」。厳しく接してくれる他者がいない環境はマクロンを作り出したが、逆に言えば、大きな欠損を生み出した。彼の視野には「民衆」がいないのだ。
 この本はマクロンへの手紙という形式をとっているが、手紙の間にはインタビューが挟まっている。クリストフ、パトリック、ロールリーヌ、そしてズビール。他にもたくさんの市井の、無名の人たち。生活が苦しく、社会保障も十分に受けられない。リュファンは二〇一八年の年末から毎週末、フランス全土に燃え広がり、生活の質の向上を訴え続けた「イエロー・ベスト運動」のドキュメンタリーを撮っている。題して『太陽が欲しい!』。ズビールたちはその過程で出会った「民衆」だ。彼らは、学者たちが言うところの「目に見えないフランス」であり、普段、声を上げることをしてこなかった組織化されざる人々でもある。彼らの声が挟まることで、本書は厚みを増している。
 エマニュエル・マクロンには彼らが見えない。本書で印象的だった言葉が二つ。マクロンが庶民の生活を忖度して、「月末」には苦しいでしょう、と演説で語ったことがある。いやいや。苦しいのは「月末」だけじゃないって。世の中には多様な職業形態があることが想像できないのだ。
 もうひとつ。「触れる」という言葉だ。マクロン好みの......。「私は人々の中に入ること、触れることがとても好きです。そうすると私は一新されます」。リュファンは反論する。「触れる」という決まり文句以上に表面的なものがあるだろうか? と。塀の内側の安全地帯からそっと差し出す握手の手。マクロンの浅薄さを明示する言葉だ。
 最後に、人生の大半をフランス語圏の文学を読むことに費やしてきた者として一言いわせていただければ、自身の優秀さを飾り立てるために、マクロンが言及するフランスの作家や思想家たち(ルネ・シャールやジョルジュ・ペレック、解釈学者のポール・リクール)が不憫でならない。なんと浅い理解! リュファンにエールを!

 (じんの・としふみ 文芸評論家、フランス語圏文学者)

フランソワ・リュファン/飛幡祐規訳『裏切りの大統領マクロンへ』978-4-10-507141-7