インタビュー

2020年1月号掲載

『清く貧しく美しく』刊行記念 著者インタビュー

冷たい時代の、幸せな二人

石田衣良

デビュー作『池袋ウエストゲートパーク』以降、時代時代の若者の姿を鮮やかに描いてきた石田氏。
恋愛小説の名手としても知られる氏が令和になった今、生み出したのは、ひたむきで切実な二人の、心あたたまる物語でした。

対象書籍名:『清く貧しく美しく』
対象著者:石田衣良
対象書籍ISBN:978-4-10-125060-1

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希望が持てる物語を

――今作の主人公は、ネット通販大手の倉庫で働く三十歳の非正規社員・堅志(けんじ)と、スーパーでパートをする二十八歳の日菜子(ひなこ)です。二人は決して裕福なわけではないけれど、ユニクロの服を着て、ご飯は自炊しながら、小さなアパートで幸せに暮らしています。ただ堅志は、自分の置かれた状況に少し焦ってもいる......。この二人の物語は、どこから生まれたのでしょうか。

石田 今って、時代がすごくとげとげしいでしょう。特にネットではみんながお互いを攻撃し合ったり、誰かを引きずりおろしたりするようなことが続いている。だから、ともかく優しい恋人たちの話を書きたいなと思ったのがはじまりです。いつも褒め合っているような、幸せな二人の話を書きたいなと。
 ちなみにタイトルは、松山善三の『名もなく貧しく美しく』という映画からとりました。しっとりとしたいい映画で、なんとなく、今の時代にぴったりかなという気がしたんですよね。

――堅志と日菜子はお互いに、些細なことでも褒め合う約束をします。それが冷たい世の中を生き抜く支えになるというのは、よくわかる気がしました。

石田 ただ、小説でも書きましたが、日本人男性は女性を褒めなれていないから、多少訓練が必要かもしれませんね。アンミカさんのラジオ番組に呼ばれてお話したときに、彼女に聞いたアメリカ人の旦那さんのエピソードはさすがでした。朝、髪がバサバサな寝起きの状態のときでも、「君は神秘的だね」って褒めてくれるそうです。そういう言葉ってなかなかパッと出てきませんよね。
 あと、この物語のもうひとつのきっかけは、就職氷河期と呼ばれた世代の人たちのことがずっと気になっていたことです。大学を卒業するときに景気がいいか悪いかなんて、本当にただの運じゃないですか。でも、リーマンショックみたいなことがあると、どんなに頑張っても、たくさんの人が採用の枠から零れちゃう。
 そういう人たちに、ちょっとでも希望が持てるような話にしたいなというのがありました。だから、そのいちばん厳しい時代に社会に出た人を主人公にしようと。

――いわゆる"ロスジェネ"と呼ばれる世代ですね。

石田 悲しいけれど、社会によって切り捨てられた世代だと思います。国が経済的なピンチを乗り切ろうとしたときに、小さな個人を切り捨てて、大企業だけを守った。そうしたら今、その切り捨てられた個人が、自分の人生をかけて復讐している。
 結婚しない、子供をつくらないって、洗練された復讐なのだという気がします。自分も傷つけながら、国力を落とす。それに対して政治家がいくら「結婚しろ、子供を作れ」って言ったって、そんなの乗るはずがないよね。おまえたちは個人を見捨てたじゃないかって。リーマンショックから十年が経ち、行政もようやく、その世代だけ公務員採用を厚くするとか、政策を出し始めてはいるようですが。

――堅志も日菜子も、「自分なんて」「自分なんか」というような言い方をよくしますよね。近い世代なのもあってすごく共感したんですが、社会によってそう思わされているというところもあるのでしょうか。

石田 大いにあるでしょうね。日本って、若い子たちが前を向いたり、自信を持ったりしにくい社会じゃないですか。日本人は、社会を便利にする小さな改革――たとえばウォシュレットとか――を発明するのは得意ですが、社会全体のシステムを見直すとか、自分たちで世の中の仕組みを変えていくとかいうことに対しては、まるで適性がないですよね。
 そういう社会の中で生きていると、若い人は何かを変えようという気持ちにさえなれなくなっていくんだと思います。今の世の中は年寄りが牛耳っているんだ、そういうものなんだって。そういう意味では、自分たちの身の回りのところから何かを変えるという経験が必要なのかもしれません。
 今の香港を見ていても思うんですが、中国は民衆の反乱で国が変わっていくということを何度も経験しているから、一人ひとりの「俺たちが変えるんだ」っていう意志がすごく強い。大学生でも、高校生でも、みんな動く。日本ももう少し、そういう積極的な意思表示というかムーブメントを起こせるような社会にしていきたいですよね。
 ぼくは若い人たちに、未来をあきらめてほしくないんです。その人が男女交際も夢もあきらめて、なんとか貯金だけして、一人で生きていこうとしている。でも、二人で一緒だったら支えられるよ、っていうのがメッセージとして伝わるといいなと。

弱さの中にある絶対的な強さ

――日菜子は一見引っ込み思案のようですが、すごく芯の強い女性でもあります。その様に説得力がありました。

石田 自分の中に閉じこもって闘える人って、芯は本当に強いと思います。弱さの中にこそ、絶対的な強さがある。
 それに、日菜子みたいに誰も見ていなくてもコツコツ何かができる、そういう力こそ今の時代に必要なものかもしれません。もう何かを好きというだけじゃ足りなくて、どれだけそれを続けられるかが問われているから。
 その強さみたいなものを、男の子たちにも見習ってほしいかな。今、心が折れやすい男の子がすごく多いなと感じます。何か一つ困難があると、途端にクシャッとつぶれてしまうような。でもそろそろ、生きることをあんまり閉じないでほしいなと。

――ただ、この二人のような「持たざる」若者は、今の石田さんから見ると遠い存在なのではないでしょうか。

石田 いや、堅志は昔の自分のようで、書いていてすごく懐かしかったですよ。
 たしかに、こうして取材も受けるような職業ですし、外から見たら今のぼくとはかけ離れて見えるのかもしれませんが、人間って、十代後半くらいから基本的な人間性はもうあまり変わらないですから。
 ぼくも倉庫でのピッキング作業をやっていたことがあるし、書きながら、新卒採用の試験を受けないで大学卒業後にフリーになったときの心細い気持ちも思い出しました。ぼくの場合はたまたま景気がいい時期で、そのあと正社員になるのも難しくなかったのですが。そうそう、その頃の彼女とはじめて同棲したときのことも思い出しましたね(笑)。

――幸せな二人の関係は、堅志に正社員登用の話がきたあたりから、少しずつ雲行きがあやしくなっていきます。

石田 非正規雇用と正規雇用の壁がこんなに厚い世の中って、やっぱり問題ですよね。同じような仕事をしていても給料が半分というのは、どう考えてもおかしい。
 ただ、今の時代、正社員になれば安心というわけでもないでしょう。特に堅志がいるような外資のネット企業は、社員の首を切るときだって何万人単位だったりするはずです。ぼくは正直、そこまで会社にしがみつかなくてもいいんじゃないかと思っています。これからフリーの人はどんどん増えていくでしょうし。
 だから基本的には、お金がないとか、不運だったとか、そういうことに拘らないで生きたほうがいいんじゃないかとは思います。それはその人の属性の、本当に一つでしかないから。当たり前ですが、お金があっても不幸な人はたくさんいるし、お金がなくても幸福な人はたくさんいる。
 でも、だからといって「今持っているものに感謝して生きろ」みたいなことを言うのも嫌なんですよね。ブラック企業の社長みたいで。

一見遠回りのもののほうが役に立つ

――この物語は、そんな中でどうやったら自分と大切な人が幸せに生きられるか、ということについての一つの解を示していますね。

石田 みんな今、なんとかして得をしたいと思っているでしょう。だからか書店に行っても、小説よりも実用書の棚が圧倒的に増えている。でも本当は、一見遠回りのもののほうが、役に立つと思うんです。「これを読めば起業が成功する」とか「一週間で100万円稼げる」とかいう本よりも、小説を読んで、自分の心を強くしていったほうがいいとぼくは思います。
 最近は損か得かの基準として、よく「コスパ」ということばが使われますが、それを人生にまであてはめるのはやめた方がいいですよね。そんなことを言ったら、生まれてきたこと自体、コスパが悪いということになってしまう。全部返済しながら死んでいかなきゃいけないことになる。
 何かにつけ「コスパ」を口にする人には、あなたの人生は商品なのか? 君の結婚は街で売っているものなのか? と問いたくなります。むしろ、コスパが悪いこと――無駄なことや危険なことの中に、人生の楽しいことは全部詰まっているはずなんです。

――今作は現代の恋愛を描きつつも、転機を迎えた二人の「生き方」の物語でもありますね。

石田 自分が何者であるのか、だんだんとわかってくるのが三十代ということではないでしょうか。二十代はまだ、夢と現実との折り合いもなかなかつけられないし、自分のできることとやりたいことの区別もつきにくい。自分の「地の色」がようやくちゃんと出てくるのが、三十歳くらいなのだと思います。だからこれは、今の時代の「成人式」を迎える話とも言えるんですよね。あとは四十歳くらいでなんとなく手ごたえが得られて、気づけば五十代(笑)。
 先ほど、日本で社会を変えることは難しいと言いましたが、個人は変われます。そして、周囲の人に働きかけて、自分の身の回りから変えていくこともできるはず。
 そうやって、今みたいな時代でもなんとか幸せに生きようとする二人に、ぼくの気持ちを託しました。
 (聞き手・編集部)

 (いしだ・いら 作家)

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