書評

2019年12月号掲載

十二国記『白銀の墟 玄の月』全四巻刊行記念特集

私たちの読みたかった物語

小野不由美『白銀(しろがね)の墟(おか) 玄(くろ)の月』第三巻・第四巻

北上次郎

対象書籍名:『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫)(一)・(二)・(三)・(四)
対象著者:小野不由美
対象書籍ISBN:978-4-10-124062-6 978-4-10-124063-3/978-4-10-124064-0 978-4-10-124065-7

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『魔性の子』を書いたとき、すでに「十二国記」の構想を持っていたというから驚きだ。たしかに「十二国記」のさまざまなディテール、設計図を用意していなかったら、『魔性の子』を書くことは出来ない。
 先に『魔性の子』を読み、あとで「十二国記」を読んだ読者は驚いたことだろう。高里(たかさと)の神隠し先が「十二国」だなんて、しかも高里が胎果の麒麟だなんて、『魔性の子』の段階では想像も出来なかったに違いない。私は先に「十二国記」の諸作を読んでから『魔性の子』に戻ったので、その驚きとは無縁だった。それが悔しい。多くの読者と同じように、えーっ、本当かよ、と驚きたかった。
 その『魔性の子』が、高里(つまり、戴国の麒麟、泰麒(たいき)だ)の物語であったことは記憶されていい。つまり、こんなふうにまとめてしまっては乱暴ではあるけれど、この「十二国記」は、高里=泰麒の話から始まったのである。高里は幼いときに一度神隠しにあったことがあり、そのときに流された「十二国」側の話が、『風の海 迷宮の岸』であり、正使として漣(れん)にいく顛末を描いたのが『華胥(かしょ)の幽夢(ゆめ)』に収録の短編「冬栄」だった(このとき同行した一人が、のちに驍宗(ぎょうそう)に歯向かい偽王となる阿選(あせん)であり、この旅の目的が他にあったことがのちに明らかになる)。
 さらに『魔性の子』のラストで、高里は蓬莱(ほうらい)(日本)を去って「十二国」の世界に戻ることになるのだが、彼を戻すためのさまざまな尽力を「十二国」側から描いたのが『黄昏の岸 暁の天(そら)』であった。そして、『白銀の墟 玄の月』は、「十二国」に戻った高里=泰麒が、李斎(りさい)と一緒に(というか、わかれて)驍宗を探す物語であるから、この「十二国記」シリーズは、高里=泰麒を中心とする物語だと言っても過言ではない。いや、言い過ぎか。慶国の陽子を描く『月の影 影の海』、延王と延麒の物語『東の海神(わだつみ) 西の滄海』、そして私のいちばん好きな『図南(となん)の翼』(この舞台は恭国だ)などがあるので、高里=泰麒だけの物語ではけっしてない。
 しかし、この長大なシリーズが『魔性の子』から始まったこと、さらにその主人公が高里=泰麒であったことは事実なのである。ならば、戴国の行く末を描く今作がその高里=泰麒を主人公とするのは、ごく自然なことと思われる。
 というわけで、いよいよ『白銀の墟 玄の月』後半の刊行になるが、すごいぞ。
 細かく紹介したいところだが、読書の興を削がないために、ここはぐっと我慢する。ここに書くことが出来るのは、驍宗が倒れた戦場の様子が克明に描かれること(同じ場面が別の作品で詳しく描かれるというのは、このシリーズの特徴でもある)、第四巻で涙が何度も溢れてくること、最後の戦闘の場面が迫力満点であること、そういう幾つかのことだけだ。
 そういえば、『風の海 迷宮の岸』で、幼い泰麒が饕餮(とうてつ)と対決したシーンを思い出す。あれは迫力満点のシーンだったが、こういうアクションを描いても小野不由美は天才的にうまい。この『白銀の墟 玄の月』の戦闘シーンも、それに負けず劣らず素晴らしい。
 膨大な登場人物を巧みに操って描きわける筆致の冴えを見られたい(特に、阿選の複雑な性格が白眉)。予想外の展開を次々に積み重ねる構成のうまさにも感服だ。
 印象深い挿話は幾つもあるが、個人的には貧しい親子が川に食べ物を流すシーンをあげておきたい。あの世にいる王様が困らないように、けっして豊かでなく、むしろ食料難に苦しむ一家であるにもかかわらず、この国をよくするためにはあの王が必要だ、とこの父と娘は食料を籠に入れて流すのである。つまり、今ではなく、未来のためだ。本書の、そしてシリーズ全体を貫く鍵を象徴するエピソードといえるだろう。そうなのである。この長大なシリーズを貫くのは、今がどんなに辛くても、いつかはきっと夜が明ける。それを信じよう――という希望なのだ。
 嫉妬があり、憎しみがあり、生があり、死がある。意地があり、誇りがあり、絶望があり、歓喜がある。そういう感情の粒子が、あちこちから立ち上がってくる。ファンタジーの衣装をつけてはいるが、すこぶる人間的なドラマといっていい。ファンタジーを苦手とする私のような読者をも引きつけるのはそのためだろう。
 私たちの読みたかった物語がここにある。見事なエンディングだ。

 (きたがみ・じろう 文芸評論家)

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