インタビュー

2019年11月号掲載

『聖者のかけら』刊行記念 著者インタビュー

聖遺物に導かれ、聖者の遺体消失の謎へ

川添愛

著者は気鋭の言語学者、舞台は十三世紀のイタリア、アッシジの聖フランチェスコ大聖堂……。
知的楽しみに充ちた、新世界文学の誕生です。

対象書籍名:『聖者のかけら』
対象著者:川添愛
対象書籍ISBN:978-4-10-104761-4

 以前から中世のヨーロッパについて何か書いてみたいと思っていたのですが、直接のきっかけは五年ほど前、ウィーンで聖遺物を見たことでした。空いた時間にホテル近くのシュテファン大聖堂へ行き、宝物庫にも足を伸ばしたら、最後の一室に聖者とされる人の頭蓋骨や腕の骨、骨のかけらなどが所狭しと陳列されていました。聖遺物には聖なる力が宿り、病気の治癒などの奇蹟を起こすと言われていますが、私はその部屋の異様な光景と空気に圧倒され、不届きにも気分が悪くなってしまったんです。その出来事以来、聖遺物に興味が湧き、関連の文献を調べるようになりました。聖遺物が教会の権威付けに使われたことや、貴族のステータスのひとつとして高額で売買されていたこと、また聖遺物のブローカーまで存在したことなどが分かるにつれ、「身元不明の聖遺物が次々に奇蹟を起こし、主人公がその正体を探る」というストーリーが固まってきました。
 個人的に、『神学大全』を著した中世の神学者トマス・アクィナスが好きだったので、彼の活躍した十三世紀、とりわけイタリアを舞台にすることを考えました。当時は各都市と貴族がローマ教皇支持派と神聖ローマ皇帝派に分かれて激しく争ったり、教皇がローマを追われたり、異端への弾圧が行われていたりなど、かなり混乱した時代だったようです。聖フランチェスコも同時代の人だったので調べてみたところ、生前から有名だったのに、その遺体が行方不明になっていた期間が長くつづいていたことを知りました。また、フランチェスコというスター(聖者)の陰にエリア・ボンバローネという強烈な個性を持つ人物がいたことも分かりました。エリアは聖フランチェスコ大聖堂を作った人で、フランチェスコ会の総長を務めながら、会を追放され、教皇に破門までされているんです。このエリアがフランチェスコの遺体の行方に関わっていたら面白いなと勝手に想像をめぐらせていたら、実際にそういう説があることを知り、もうこれを物語の中核にするしかないと思いました。
 聖遺物の身元を調べるには、読み書きができて各地に行ける人物が良かろうと思い、若き修道士ベネディクトが身元調査を命じられるところから物語をスタートさせることにしました。彼は世間知らずで素直な人物で、幼少時の出来事がトラウマになって、自分が呪われているのではないかと思い悩んでいます。彼と協力して調査を行う村の助祭ピエトロは金の亡者で、聖職者でありながら聖遺物の売買を行うような如才ない男です。『聖者のかけら』のエピグラフの「今、わたしはあなた方を遣わそうとしている。それは、狼の中に羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」は、聖書の中で私がいちばん好きな一節で、主人公ふたりをこの鳩と蛇に見立てています。
 ベネディクトとピエトロが身元不明の聖遺物の調査のためにアッシジを訪れたのは、フランチェスコの死から四半世紀が経ち、上堂と下堂と呼ばれる上下二層の聖堂からなる聖フランチェスコ大聖堂が完成しつつあった頃です。当時、聖堂内の地下納骨堂の場所はほんのひと握りの者にしか知られていなかったという説があり、同時代の聖堂に関する文献を参考にしながら、自分だったら聖堂内のどこを調べるだろうと考えながら書き進めました。この小説を通して、聖堂内の探索も楽しんでいただきたいです。
 私は物心ついたときから教会やキリスト教が身近にある環境で育ちました。子供の頃はキリスト教の世界観と日本人のそれが一致しなくて、そのギャップに違和感を覚えたものです。信仰にも関心があったのですが、キリスト教では信仰心が強まれば強まるほど痛い目や辛い目に遭う印象があって、「信仰って、いったい何だろう」という疑問もずっと抱えてきました。たとえば、聖フランチェスコは福音書の「旅をするについて、何も持って行くな。杖も袋も、パンも金も」という言葉通りに持ち物を捨て、無一物で各地を托鉢してまわり、信仰を深めていましたが、誰もがそんな暮らしを送れるわけがありません。では聖者ではない普通の人間にとって宗教や信仰はどうあればいいのかということも、この小説のテーマのひとつです。それはあくまで個人的な関心であって、普遍的なものではないため、学術書ではなく小説でしか書けないと思いました(同じく言語学者のウンベルト・エーコは自身の小説『薔薇の名前』について「理論化できないことは物語らなければならない」という言葉を残しています)。その言葉は知りませんでしたが、その感じに近いかもしれませんね。
(聖フランチェスコは「清貧と結婚した」と言われた一方で、エリアは清貧とは無縁だったとか。アッシジを愛した須賀敦子さんも聖フランチェスコ大聖堂を「堕落の象徴」と書き、もっとも「堕落」のおかげで、私たちはかけがえのないジョットの壁画などを楽しめるから不平はいえないと書き添えていますが)キリスト教に限らず他の宗教にも共通して見られることですが、長年つづく宗派や会派には教団を組織化し、開祖の教えを体系化して広める者がいて、フランチェスコ会ではエリアがその役割を担いました。エリアはフランチェスコの死後、彼が聖人に列せられるよう教皇庁に働きかけ、彼の聖性を喧伝し、会を大きくしました。しかしフランチェスコの教えや戒律をゆるめたという批判を受け、大聖堂の上堂が完成間近だったときにはすでに総長の地位になく、破門されたまま死の床につきかけていました。エリアが当時どのようなことを考えて生きていたのか、またベネディクトとピエトロが聖遺物の調査を通してどのような成長や変化を見せていくのかも、本書でお読みいただきたいところです。(談)

 (かわぞえ・あい 言語学者/作家)

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