書評

2019年11月号掲載

叶わないから好き

町屋良平『ショパンゾンビ・コンテスタント』

新井見枝香

対象書籍名:『ショパンゾンビ・コンテスタント』
対象著者:町屋良平
対象書籍ISBN:978-4-10-352272-0

 音を楽しむと書いて音楽です。私の好きなバンドのボーカルは、必ずLIVEで金八先生みたいなことを言う金髪。しかし先生、音楽は楽しいばかりではありません。それは奏でる人生を選んだあなたが、いちばんよくご存知のはず。その喉は艶やかな和音を生んだ。光の帯みたいなロングトーンが、投光器のようにどこまでも伸びた。彼の身体において、その豆粒程度の器官が特別すぎて、それ以外の部分は神殿みたいだった。《天才は現象にすぎない。》どれだけ強く望み、何を捧げても、人間が天才を起こすことはできない。それなら、過ぎ去ることだって止められやしないのだろう。
 子供の頃、ピアノを習っていた人は掃いて捨てるほどいたのに、気が付けば誰も弾いていない。弾けば弾くほど弾けるようになって、いつかはリストだって弾きこなせるのではないかしら。でも、《なんとなく》リストを弾くだいぶ手前で止めている。優しい理由を添えて、きれいな指で蓋を閉じ、しれっとクレーンで運び出してしまう。ピアノは難しいんだ。猫だって踏めば音は出るが、音が鳴るまで弾くのは、思っているよりずっとずっと難しい。正確に言うと、ピアノを弾く人間の身体と心が難しい。『1R1分34秒』の芥川賞受賞により、ボクサー小説のイメージが強い町屋良平が、ショパンを?ベートーベンではなしに?と驚いた人は、ここで納得してもらえるのではないだろうか。猫だってパンチはできる。しかし、極めてボクサーの天才を宿しにくい肉体と精神に生まれついている。彼らにとっては、幸運なことに。
《なんとなく》音大を中退した「ぼく」と、ピアニスト志望の源元(げんげん)との関係は、天才と非天才とも、純粋な友情とも違った。ピアノを真剣に弾かなくなった代わりに、小説を真剣に書き始めているからかもしれない。それは書き出しばかりで一向に進まないが、ピアノだって最初は「ハノン」の途中で息切れをして、また最初からドミファソラソファミレファソラシラソファ...と弾くのである。そんなものだ。源元をモデルに小説を書き、「ぼく」の想い人でもある源元の恋人「潮里」をも登場させ、あまやかな物語(の出だし)を描いた上で本人たちに読ませている。「ぼく」は《とんだセンチメンタル野郎》だった。
「自分ではない人を愛している人」、できれば「自分ではない人と愛し合っている人」を愛することは、ある意味とても安心だ。彼らの関係性が揺るぎなければ揺るぎないほど、その人に高い価値があると感じられ、恋してしまうのだ。そのため、万が一相手がこちらを振り向けば、価値がなくなってしまう。つまりどちらにせよ、その恋は叶うということがありえないし、そもそも振り向くことなど絶対にない相手を選んで愛してしまっている時点で、彼は愛がこわくてたまらない。と勝手に想像する。デビュー作『青が破れる』では、ボクサー志望の主人公が、明らかに面倒な問題を抱えた人妻と不倫をし、彼女が自分をちっとも好きではないという事実が、アナザーセンチメンタル野郎の気持ちを燃え上がらせていた。愛がこわくて、嫌いであればあるほど、こちらを向かない愛が好き。源元と交際を続けながら、源元の友達である「ぼく」を平気で部屋に招く潮里は、町屋良平の小説史上、最もセンチメンタルほいほいで、魅力的な女の子だと感じた。私は彼の作品における、こういう涙ぽろぽろ案件が大好物なのであるが、人によっては、泣きすぎて気持ち悪いかもしれない。大丈夫だ、我々(?)には自覚がある。
 源元が出場するピアノコンクールの2次予選、そのシーンを2回目に読む際、私はヘッドホンをしながら読んだ。もちろん曲はショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11。ソリストは、小説にもエピソードが引用されている天才、ダン・タイ・ソン。言葉と音楽を照らし合わせる手続きなど一切なく、音のように流れ込む言葉言葉。これは危険だ。こんなこと、やってはいけない。私はこれを嵐の夜にしたあと、全裸で床に倒れ込み、立ち上がれなくなっていた。なんてことしやがる!バーン!
 観光客で賑わう上野公園を自転車で駆け抜けた。ぽろぽろ泣いていた。芸大の入試で落ちた日の記憶だ。結局私は別の音大に入学したが、あの日からずっとゾンビである。決してこちらを向かない対象への愛にとらわれている。音楽も小説も、叶わないからこんなに好きで、しあわせなのか。とんだセンチメンタル読者である。

 (あらい・みえか 書店員/エッセイスト)

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