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書評・エッセイ

迷える男たちへ

筒井康隆『老人の美学』(新潮新書)

橘玲

 日本社会の大きな特徴は男の幸福度が低いことだ。
 世界価値観調査(2010年)で男女の幸福度を比較すると、日本は「幸福な女性」が「幸福な男性」より8%以上も多く、その「格差」は世界一大きい。
 2015年に実施された大規模な社会調査SSP(階層と社会意識全国調査)では、もっとも幸福度(ポジティブ感情)が高いのは大卒の若い女性で、同じ大卒でも若い男性はあまり幸福ではなく、もっとも幸福度が低いのは非大卒の中高年男性だった。
 この「幸福度格差」は高齢になるほど拡大する。内閣府の『男女共同参画白書』(2014年)によれば、70代以上で「現状幸せである」と回答したのは女性(高卒)が5割ちかくで突出して高く、男性は大卒・高卒問わず3割程度でしかない。
 これまでさまざまな作品で日本の課題を先取りしてきた筒井康隆氏が『老人の美学』を執筆した理由は、おそらくここにあるのだろう。日本社会の主流派(マジョリティ)でありながら、若い時から幸福感を感じることができず、年をとるにしたがってますます不幸になっていく「男という問題」をなんとかしないと、すでに超高齢社会に突入した日本はどうにもならないのだ。
 なぜ高齢の男の幸福度はこんなにも低いのか。まず思い当たるのは「孤独」だろう。中高年のひきこもりが社会問題になっているが、その割合は男が75%(4人のうち3人)だ。自殺率も男が女の2倍で、孤独死の4人に3人は男だとされる。年をとると、相手が同性であれ異性であれ、男は社会的関係をつくるのが難しくなるのだ。
 このやっかいな問題を筒井氏は、「仕事をしなくてすむ境遇になった人の仕事は、孤独に耐えることである」と一刀両断にする。それ以外にも、人生の困難な時期を乗り越えるための実践的なアドバイスがこの本にはたくさん書かれている。
 たとえば、妻(パートナー)と融和する方法。男はつい理屈で説き伏せようとするが、これは最悪だ。本書で紹介される俳優リチャード・ギアの言葉、「こうしたらいいとか、自分ならどうするとかいった、自分の意見は絶対に言わないように。妻はそんなものを求めているのではなく、聞き手を求めているのだ。黙って、我慢して、最後まで聞くことだ」は、すべての男が覚えておくべき至言だろう。
 あるいは老いについて。「青春時代の十年、働き盛りの頃の十年を考えれば、どれだけ多くの出来事が、どれだけ多くの楽しいことがあったことだろう」として、80歳を過ぎても「これからの二十年を楽しみにしていればいいのである」と述べる。「一般的にも長生きすれば老衰で死ぬことになり、その方が『まるで眠るように死んでいく』ことができるのだから、こんなありがたいことはない」のだ。
 これからの時代に重要なのは、「評判」だと私は考えている。徹底的に社会化された動物である人間にとって、幸福も不幸もすべては評判=他者からの評価で決まる。フェイスブックやツイッターなどで評判が可視化できるようになったことは、人類が体験したとてつもなく大きな変化だ。
 じつは筒井氏は、早くも1972年の短編「おれに関する噂」で、すべての他人が自分についての噂をしている(と自分で思っている)世界について書いている。当時はたんなる「お話」と扱われただろうが、テクノロジーのとてつもない進歩によって、いまや現実が筒井氏の想像力に追いついてしまった。
 AI(人工知能)が囲碁や将棋の名人に勝ったことで、世界が劇的に変わりつつあることを私たちは思い知らされた。未来がますます不確実になるなかでいま切実に求められているのは、「男の老人」のロールモデルだ。幸いなことに女性の高齢者には、「ちょっと頑張ればなれるかも」というロールモデルがたくさんある。それに対して男には、80歳でエベレスト登頂に成功するとか、105歳まで現役医師として患者を診るとかのスーパーマンしかいない。
 いきなり「人生100年時代」といわれて、男も女もすべての高齢者が困惑している。どのように生き、どのように死を受け入れるかは、誰にとっても大きな課題だ。
 85歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)たる筒井翁は、そんな時代の迷える男たちに、「すこしだけ幸せになる方法」を指し示してくれているのではないだろうか。

 (たちばな・あきら 作家)

筒井康隆『老人の美学』978-4-10-610835-8