書評

2019年9月号掲載

特集 吉田修一の20年

「吉田修一小説」と私

『さよなら渓谷』のこと

大森立嗣

4人のプロフェッショナルが掬い取った「人と作品」

対象書籍名:『さよなら渓谷』(新潮文庫)
対象著者:吉田修一
対象書籍ISBN:978-4-10-128754-6

img_201909_11_1.jpg

『さよなら渓谷』

 デビュー20周年とのこと、素晴らしいことだと思いつつ、吉田さんの才能なら当然かとも思ったりもしています。先日、『国宝』を遅ればせながら読ませていただきました。非常に楽しみながら、勝手に吉田修一の俳優論として読んでしまったところがあり、改めて吉田小説を映画化することの怖さを妄想していたところに、『さよなら渓谷』を思い出せと編集の古浦さんから連絡をいただき、撮影をしていた夏の奥多摩のジメッとした空気が肌に纏わりつく様でした。
 レイプ事件の被害者と加害者が夫婦のように一緒に住んでいる、なぜか? というのがこの小説のテーマだと思い、それが映画化しようと思ったきっかけでした。シンプルだがこの答えのでない問題が、情報化された湿度の低い現代社会にあって雨上がりのモワッとした空気のように、小説の中に立ち込めていた。どうしようもなく纏わりつくその湿度は、深い緑の渓谷であり、押し寄せるマスコミであり、レイプ犯の大学野球部の男たちの中にも表れていた。
 吉田さんは映画『さよなら渓谷』を観た直後、僕にこの様なことを言った。「かなこが働く温泉の女湯を掃除しているところが見たかった。その陰湿な汚れからの匂いを感じたかった」と。僕は、それを撮っていなかった自分を悔いつつ、吉田さんの映画的な感覚に脱帽した。匂いも湿度も映画には映らない。それを映せと僕に言っていたのだと思う。いい小説も同じなのだろう。そういえば吉田さんは拙作、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の解体屋のあり様を褒めてくれたっけ。
 衆知のことであるが吉田さんほど映画が好きな小説家もそうはいない。その吉田さんの小説の中でも『さよなら渓谷』は映画に向いていると思う。シンプルなテーマ、答えの出ない問題、全体を覆うジメッとした空気。やがて渓谷に風が吹く。爽やかな風が純愛のように。そんな吉田さんのロマンチシズムが僕は大好きです。20周年、本当におめでとうございます。

 (おおもり・たつし 映画監督)

最新の書評

ページの先頭へ