書評

2019年4月号掲載

まさに「史伝」といえる一冊

――譚ろ美『戦争前夜―魯迅、蒋介石の愛した日本―』

本郷和人

対象書籍名:『戦争前夜―魯迅、蒋介石の愛した日本―』
対象著者:譚ろ美
対象書籍ISBN:978-4-10-529708-4

 お茶とお菓子でしゃれた読書を楽しみたい方に、ぼくは本書をすすめない。ずしりと重い本物の歴史が書かれていて、それは読者に厳しく対峙し相応の覚悟を求めてくるからだ。
「若者が監獄にいっぱいになると、彼らはトラックに載せられ、人目につかない場所で大きな穴を掘らされ、そのまま銃殺されて、穴が埋められた」(第15章)。かけがえのない人間が時の流れに抗えずに、無慈悲に押し潰されていく。「魔都」上海での共産党狩りを記す一文だが、このような描写がそこかしこにあって、次々に胸に突き刺さる。
 20世紀初め、中国〈清〉は日本に学んで近代化を推し進めようとしていた。多くの知的エリートが日本に留学し、日本の教育を受けた。日中の蜜月時代である。そこから紆余曲折があって、1937年に両国は泥沼の戦いに突入していった。この戦争が残した傷跡は余りに深く現在もなお癒える気配すらないが、その紆余曲折、1920年代と30年代の日中関係についてはこれまであまり注目されなかった。複雑に利害が絡み合い、情勢が刻々と変化するこの時期を本書は正面から描いた上で問う。日中戦争はなぜ起きたのか。誰が、いつ、両国の結び目を断ち切ったのか。大きな歴史のうねりの原因をピンポイントに抽出できるはずはないが、著者は逃げることなくある出来事を試案として明示する。有名ならざるその事件とは――、それはぜひ本書で確かめていただきたい。
 主人公は文豪・魯迅と軍人政治家・蒋介石。ともに日本で教育を受け、日本人の身内をもった。儒教に縛られた旧き祖国の改革を目指して上海と東京を結んで活躍した対照的な二人の「ペンと剣の闘い」が克明に叙述され、そこに多くの中国人青年と頭山満・寺尾亨・内山完造・田中義一ら有名無名の日本人が関わり、20年代・30年代の空気が濃密に甦る。
 織田信長の出現が戦国時代を終結させたなどと説くと、日本史学界からは素人の所業と糾弾される。一人の英雄が歴史を作るのではなく、時代の要請が人を選び出す。ぼくたち歴史研究者はそう教わり、当然のこととして受容している。だが蒋介石が「千人誤って殺しても、一人の共産党員も逃すな」との指示を出さなければ、冒頭で記した事態はなかった。1927年4月12日、上海で多くの学生や労働者が共産党員か否かの区別なく連行され、虫けらのように殺された。時流の巻き添えになった彼ら一人一人、二度ない人生は永遠にそこで終わった。この意味でやはり、一人の人間が歴史に及ぼす作用は甚だ大なることがあるのだ。本書が実に詳細に、中国と日本の人間を凝視する所以はここにある。
 ぼくは一人の中国人のまなざしが忘れられない。神経質そうで、それでいて社会の本質を見通してやるぞというような鋭い目をした青年の写真を、李漢俊とネット検索をすると見ることができる。14歳で来日して東京帝大で学び、帰国後は社会主義者として活動。1921年7月23日、上海の彼の家に毛沢東を含む13人の中国人青年が集まり、中国共産党第一回全国代表大会が開かれた。だがやがて彼は同志と対立して党を離れ、27年に寧漢戦争の中で武漢で処刑される(37歳)。ウィキペディアの解説がいまだない彼の事績を丹念に発掘したのも著者であり(『中国共産党を作った13人』、2010年、新潮新書)、本書でも少しだけ言及される。
 ごく普通にキャンパスを歩いていそうな青年たちの行動が、歴史を少しずつ動かしていく。でもその代償として、歴史は誠実な青年に富も権力も名声も与えぬどころか、生命までを要求する。この残酷な取引は本書の随所に見ることができるが、無為に馬齢を重ねて教室で彼らを指導する立場にあるぼくには、それがたまらなく切ない。非命に斃れた彼らは、現代日本に生まれていれば、青春を謳歌したであろうに。もちろん、魯迅にも蒋介石にも、違う人生があったろう。
 歴史小説、歴史論文の他に史伝というジャンルがある。論文を書くように綿密に資料を集め、また調査を重ね、小説を書くようにオリジナリティ溢れる構想を広げていく。かつては森鴎外や幸田露伴といった文豪がこのスタイルを好んで用いたのだが、作者に多大な努力と才能を要求するために昨今はほとんど見ることがなくなった。本書はまさに、この史伝のうちに数えられる秀作と評価し得よう。尖閣諸島の領有をはじめとして中国とのあいだに争いが絶えぬ今だからこそ、居住まいを正して、二度三度と味読したい一冊である。

 (ほんごう・かずと 東京大学史料編纂所教授)

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