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書評・エッセイ

感染恐れ封印、読んで後悔!?

――武田砂鉄『紋切型社会』(新潮文庫)

山田ルイ53世

 決まりきったフレーズを惰性で使う例と言えば、"食レポ"などはその典型である。
 スイーツを食べて、「女性が大好きなヤツですね!」は定番だし、濃厚コッテリな豚骨ラーメンなら、「あーでも、思ったよりしつこくない!」あっさりした料理であれば、「結構コクもありますね!!」と、"逆張り"するのは必勝法。
 大人向けの一品は、「お子様でも大喜び!」子供向けなら、「大人も十分満足出来る!」といった具合である。珍味の類は、「白いご飯が欲しくなる!」「お酒が飲みたくなりますね!」と米か酒に"丸投げ"しておけばオッケー。かように、紋切型が蔓延している。
 武田砂鉄を知ったのは、今から4年ほど前のこと。僕はその頃、毎週土曜の昼間、文化放送で、とあるラジオ番組のパーソナリティーを務めていた。
 あるとき、番組スタッフで、構成作家の大村君から、「男爵さんが、絶対好きなやつです!」と手渡されたのが、本書『紋切型社会』である。
 帰宅し、早速読み始める。しかし、"乙武君"の章の半ばまで目を通し、僕は本を閉じた。全部で10ページほど。以来、この原稿を書くために今回"渋々"読破するまで、机の隅で他の書籍と一緒に積まれたまま数年間、只の一度も手に取ることはなかった。
 理由は簡単......面白かったからである。
 お笑いの世界で"ネタ被り"は御法度。たとえそれが、漫才中のたった一つのボケ、ちょっとした言い回しの類であっても、「じゃあ、これはもう使えない......」と赤面し却下する。それが、プロの芸人の矜持と言えよう。
 しかし、圧倒的に面白く、独創的な芸に出くわした場合、その影響から逃れるのは中々難しい。近年で言えば、ブラックマヨネーズの漫才がそれだろうか。彼らがM―1グランプリに優勝して以降、ブラマヨ風の若手芸人が急増した時期が確かにあった。あのムーブメントは、盗用(パクリ)というより、"感染"の方がしっくりくる。「ブラマヨっぽくない?」と揶揄されるリスクを背負ってでも取り入れたい......抗しがたい魅力があった証左であろう。
 武田砂鉄の文章も同じである。
 当時の僕は、"書く仕事"が舞い込み始めたころ。ゆえに、彼の精密でウィットに富んだ筆致を目にしたとき、「これ、確実にうつるな......」と感染し被るのを恐れ、封印したのだ。......で、やっぱり読んで後悔した。
 真似したくなる箇所を見つけては、「一応ね......参考までに......」と自分に言い訳しつつ、ページの隅を折り続けた結果、大量の"ドッグイヤー"で、本が発酵したのかと目を疑うほど、ボリュームアップ。
 その形状は、もはや書物というより、"ハリセン"である。
「これが本当の文筆だ!」と頭を叩かれているような気分になり、落ち込んだ。「音は派手だが痛くない」というのが、良いハリセンの条件だが、武田のは「静かで痛い」ので性質が悪い。
 本書で取り上げられる、"紋切型"の数々。「誤解を恐れずに言えば......」、「逆にこちらが励まされました」、「会うといい人だよ」......普段、人々が何の疑問も抱かない言葉に眉を顰め、「24時間テレビ」に遠慮なく苦言を呈し、斉藤和義のヒット曲のサビに頻出する歌詞、「ずっと好きだったんだぜ♪」の"ぜ"について執拗に考察を重ねる。
 先日、武田とトークライブで共演した際は、終始、LDH所属の若者達の超体育会系言語、「○○させていただきます!」について語り、爆笑をさらっていた。一応芸能人の端くれである筆者は、「歯に衣(きぬ)着せぬ」どころか、「歯にダウンジャケットを羽織る」こともしばしば......眩しい光景であった。
 過剰な自意識、自己保身や欺瞞は、どれほど巧妙に覆い隠そうとしても言動の何処かに違和感を生じさせるもの。武田は、"砂鉄"が磁場に吸い寄せられるように、歪められた言葉に纏わりつき、黒く太文字にしてしまう。
 いや、そもそも巧妙ですらないのに、隠し果せていると高をくくる、「受け手の感性を懇切丁寧に蔑んでいるとしか思えない」態度に、「舐めるな!」と静かに憤る。
 そんな本書の感想を食レポ風に述べるなら、「意外とあっさりしてる!」となるだろうか。つまり、濃厚である。

 (やまだ・るいごじゅうさんせい 芸人)

武田砂鉄『紋切型社会』(新潮文庫)978-4-10-121661-4