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書評・エッセイ

ミッテランノボウシミッテランの帽子

アントワーヌ・ローラン 著/吉田洋之

2,090円(税込)

その帽子を手にした日から、冴えない人生は美しく輝きはじめる。

舞台は1980年代。時の大統領ミッテランがブラッスリーに置き忘れた帽子は、持ち主が変わるたびに彼らの人生に幸運をもたらしてゆく。うだつの上がらない会計士、不倫を断ち切れない女、スランプ中の天才調香師、退屈なブルジョワ男。まだ携帯もインターネットもなく、フランスが最も輝いていた時代の、洒脱な大人のおとぎ話。

「神」の御利益あらたかな帽子

――アントワーヌ・ローラン『ミッテランの帽子』(新潮クレスト・ブックス)

野崎歓

 懐かしさをかきたてられながらこの小説を読んだ。個人的な話で恐縮だが、本書の物語が繰り広げられる一九八六年秋からの数年間は、まさにぼくがパリに留学していた時期なのである。
 だから作中に登場する細部の多くに思い出がある。しょっちゅう見ていたテレビ番組や、人気のあったタレント、よく買っていた雑誌など、固有名詞のいちいちがノスタルジックな感慨を誘う。そういえばセルジュ・ゲンズブールがまだ存命で、トーク番組に出て、きざっぽく煙草をふかしていたっけ。爆弾テロや要人暗殺などぶっそうな事件もあった。そして何といってもあの数年間、フランスはミッテラン時代だったのだ。
 フランソワ・ミッテラン大統領その人がブラッスリーに置き忘れた帽子を"猫ばば"して自分でかぶってみたら、なんとそれまでぱっとしなかった運勢が一変するではないか。そんな愉快な物語を支えているのは、当時ミッテランが非常な人気を博し、国民の強い信頼を勝ち得ていたという事実だ。
 政治家たちのパペットを用いた「ベベット・ショー」というお笑い風刺番組があった。そのなかでミッテランは、なぜか緑のカエルという姿に身をやつしながらも、自ら「神」を名乗って、他の面々とは格の違うところを見せつけていたのである。
「神」のご利益がいかにあらたかであったかを本書は描き出す。「帽子は帽子をかぶる人にそれをかぶらない人以上の威厳を与える」のは当然だとしても、それがミッテランの帽子となれば――「ナノ粒子ほどの極小の目に見えない何かが非物質的な形で帽子に残っていて、その何かが運命の息吹をもたらしたのだ」。
 結果として、会社員はたちまち出世の道を歩み出し、不倫の恋をだらだらと続けていた女性作家志望者は会心の作をものして、ただれた関係もすっきりと清算。さらに、才能が枯渇し沈黙を余儀なくされていた調香師は、香水界に華々しくカムバックを遂げる。
 という具合に、一人に拾われた帽子がまた別の人物の手に渡り、次々に連鎖を描き出していく「輪舞」式の構成がしゃれている。持ち主がだれになろうと、「ナノ粒子」の効き目はいっこうに衰えない。他方、せっかく拾ったミッテランの帽子をうっかり置き忘れてしまった会社員は、自分の運勢が上向いたことと帽子のあいだの強力な相関関係を確信し、なんとか帽子を取り戻そうとして懸命の捜索を試みる。やがて大統領その人がふたたび登場し、物語はいよいよ佳境を迎えるのだ。
 帽子の引き起こす出世譚と、それに付随するドタバタ劇によってあぶり出されるのは、大統領の地位からは程遠い庶民たちの人生模様だ。帽子ひとつに踊らされるさまは滑稽でもあり、筆致には皮肉もこもる。しかし登場人物たちに向けられた作者の目は温かだ。市民が大統領と直接につながる契機があってこそ「共和国」の名にふさわしいではないかと言いたげである。
 それにしても、フランス全土で「黄色いベスト」の騒乱が吹き荒れる二〇一八年晩秋にこの本を読むのはなかなか複雑な気分でもあった。ミッテラン後、彼のように支持を集める大統領はひとりも現れていない。シラク、サルコジ、オランド。人気は下がっていく一方だ。若きエマニュエル・マクロンがそんな状況を打破するのかと思いきや、就任から一年少々で深刻な危機に直面している。思えばミッテランは幸せだ。没後も忘れられるどころか、こんな軽妙な小説で自分自身の役を演じることができたのだから。さらに一昨年、彼の公然たる愛人だったアンヌ・パンジョ宛の手紙を、アンヌ自らが一冊にまとめた本が、名門ガリマール書店から刊行された。三十年以上におよぶ書簡集、全体は一二〇〇ページを超える大冊である。
 さすがに非難の声が上がるかと思いきや、情熱的かつ格調高い手紙の文体が絶賛され、いっそう故大統領の株が上がる結果となった。
 なぜミッテランだけがかくも厚遇されるのか? 本書の読者はみな思うだろう――その秘密は帽子にあるのだ、と。

 (のざき・かん 仏文学者・東京大学教授)

アントワーヌ・ローラン著/吉田洋之訳『ミッテランの帽子』(新潮クレスト・ブックス)978-4-10-590155-4