書評

2019年1月号掲載

及川優三郎 二冊連続刊行記念特集

声を獲得する

――乙川優三郎『この地上において私たちを満足させるもの』

角田光代

乙川優三郎さんの長篇小説が2冊、連続刊行されます。
『二十五年後の読書』(10月刊。小説新潮に連載)は書評家の女性、『この地上において私たちを満足させるもの』(12月刊。連載と並行して書き進められた書下ろし!)は男性の小説家が主人公。
翻訳家の小川高義さんと小説家の角田光代さんにそれぞれの長篇を書評していただきました。

対象書籍名:『この地上において私たちを満足させるもの』
対象著者:乙川優三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-439309-1

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 語り手は七十一歳の作家、高橋光洋である。家政婦として雇っている若いフィリピン人女性に日本語を教えたり、彼女の疑問に答えたりしつつ、過去に思いをはせる。過去とはつまり、彼が今、自分自身として立つ「今」へと続く長い断片的な軌跡である。
 貧しく、閉塞した実家から逃れるようにして光洋は製鉄所に就職するが、「有形無形の美しいものに飽きるほど触れて」みたいとの思いから、若い彼は日本を飛び出し世界の各地を放浪する。海外暮らしが長引くにつれ仕事も人脈も得、さらなる飛躍のチャンスを残しつつ、光洋は日本に帰国して高田馬場のアパートで小説の執筆をはじめる。やがて光洋は作家としてデビューし、編集者の妻を得て、文章を生み出すことと静かに格闘する。
 高橋さん自身が小説になりそうだ、と光洋を担当する若い編集者は言う。たしかに光洋という男は書く題材や舞台、それに必要な知識教養にはこと欠かない。しかし書きはじめるときから、デビューし、大きな賞を受賞し、文筆で暮らしが成り立つようになっても、どこか苦しみ続けている。よい文章を書くことに、自身の文体を得ることに、心を砕き続け、これでよしと自身で認めることがない。
 うつくしい文章とはなんだろう、文体とはなんだろう。読みながら考えているが、次第にそれは、べつの問いに変わっている。生きるとはなんだろう、自分の人生とはなんだろう。
 ごく一般的に、この高橋光洋という人の人生を、成功か失敗かに分けたら成功の部類に入るだろう。生まれ育った家庭の足かせをみずから振りほどき、望むとおりに日本の外に出て職と信頼を得、帰国後は望むとおりに作家となり、暮らすに困らず、快適なすみかを手に入れて、好きな酒を飲み好きな音楽を聴き自分のペースで暮らす日々が、失敗のはずがない。けれどもこの小説に記された光洋の足跡を追っていると、成功も失敗も、幸福も不幸も、さほど意味を感じられなくなる。光洋自身がそれらを求めたり避けたりしていないからだ。成功とも失敗とも分類のできない、厄介なことやよろこばしいことが、日々、予想もしないかたちで予想もしないところからやってくる。光洋はただひたすらに愚直に、それらを受け止め続けている。日本でもパリでもフィリピンでも、おそらく彼の転々とした他の地でも、そのように日を過ごして年齢を重ねてきたのだろう。愚直さとは、人生に向き合う真剣さだ。そういう男のもとにはやっぱり同じように愚直な人々があらわれる。人生に向き合う深度が似た人たちだ。彼らは、彼らなりの愚直な方法で、自分自身になる道を手さぐりに歩いている。そこに、世間的なもの差しでの成功も失敗も存在しないのだと、読み手は思い知らされる。
 成功ということとは無関係に、小説の後半で、私は光洋が満ちていっていることに気づく。満たされる、のではなくて、満ちている。何かが彼のなかに積もり、消えることも減ることもなく彼の内にたまっていき、彼の、目には見えない輪郭をぎゅうぎゅうと内側から押し広げているのを感じる。たとえばそれは、光洋が若い作家と編集者と、年齢も性別も超えて語り合うとき。過去に出会っただれかの面影が、人生に組みこまれた必然のように今ふたたびあらわれるとき。かなしみを背負ったまま訪れた島で、空も海も焼き尽くすような夕焼けを見て、言葉を失うとき。そこにいる高橋光洋という男は、かつてパリで定食を食べていたときより、フィリピンでカジノに向かったときより、ずっとずっと、満ちている。では彼を満たす「何か」とはなんだろう、と思うと、すぐに答えは出る。若い彼が飽きるまで触れたいと願った、有形無形のうつくしいものだ。旅することで、働くことで、書くことで、格闘することで、愛することで、手放すことで、失うことで彼が触れてきた、すべてのうつくしいもの。それらがこの小説にはちりばめられている。
 かつて、文体とは何であるかを私はずっと考え続けて、声ではないかといったん結論づけたことがある。それがただしいのかどうかわからないけれど、しかし、そう考えるならば、この小説は一貫して高橋光洋という男の声で語られている。この地上において私たちを満足させるものはなんであるのか、ひたすら愚直に生きた男が、みずから獲得した深い声で静かに語っている。

 (かくた・みつよ 小説家)

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