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書評・エッセイ

福岡伸一的「ナチュラリスト」

――福岡伸一『ナチュラリスト 生命を愛(め)でる人』

真鍋真

 福岡伸一さんと私には共通点がいくつかある。二人とも1959年に東京で生まれている。二人とも子供の時に絵本「せいめいのれきし」が好きだった。福岡さんも私も生物の多様性や進化に興味を持っている......と多々あるが、福岡伸一ファンに叱られるかもしれないので、このあたりでやめておこう。
 小学生のころの私は、夏休みになると新宿三丁目のデパートの屋上で、お金を払ってカブトムシをつかみ取りして、それを「昆虫採集」の成果として、夏休みの終わりに標本箱にいれて提出していた。採集地は正直に新宿区新宿三丁目と書いていたと思う。同じころ、本書によれば、福岡さんは蝶を卵から蛹へと育てて観察する自由研究をまとめていた。台風で倒れた木から見つけた幼虫を図鑑で調べ尽くして、新種かもしれないと国立科学博物館に昆虫学者を訪ねたりしていたのだ。そして、小学4年生のシンイチ少年は、研究者という仕事があることを発見していた。絶版になった図鑑を神保町の古本屋街に探しに行ったり、図書館の貴重本を収めた非公開ゾーンに本を探しに行っていた。やはり出来る人とは、過ごしてきた時間の質が違うのだと納得するしかない。
 さて、シンイチ少年が昆虫少年から分子生物学者へと成長していた頃、私はアメリカで修士課程を終えて、イギリスで博士課程に進学していた。イングランド西部のブリストルという町で、中生代の爬虫類について博士論文のための研究をしていた。私は勉強から逃避することが多く、そんな時は市内のスポーツクラブに行って、運河をながめながら何も考えずにジョギングマシンの上を走っていた。ずっと後のことだが「ドリトル先生」シリーズに出てくるパドルビーという町を探しにブリストルを訪れた福岡さんは、同じ風景をみながら、スタビンズ君の気持ちになって、心の中で世界に思いを馳せていたらしい。子どものころからの読書体験の質と量の違いが桁違いなのだ(汗)。福岡さんは、さらに翻訳を通して、原著者だけでなく、過去の翻訳家とも心の中で会話できる。もうドリトル先生の域に達しているのではないだろうか。
 福岡さんも私も「時間軸」という座標に沿って旅をするのが好きだ。私は過去約38億年の地球上の生物の栄枯盛衰の概要を頭の中に「時間軸」として持っていて、始祖鳥を見れば約1億5000万年前のジュラ紀後期に、ティラノサウルスと聞けば約6600万年前の白亜紀末期にそれらを当てはめていく。始祖鳥がティラノサウルスに進化したわけではないので、時間軸が縦軸だとしたら、横軸にあたる空間軸をもってきて、そのx、y、z空間に大きな木を思い描く。動物でも植物でも菌類でも、それぞれの生物の系統進化を示すたくさんの枝が、その起源に遡っていくと、1本の大きな幹に集まっていくような木である。小型肉食恐竜の枝は体を小さくして、始祖鳥を経て現在のニワトリやハトにつながっている。しかし、すぐとなりの枝では、体を大きくしてティラノサウルスが出現した。彼らは子孫を残さずに絶滅しているので、6600万年前でその枝は途絶えている。
 福岡さんの「時間軸」には、人類の科学史という視点も含まれている。いつだれが、どこで、どのような気づきがあって、その後の試行錯誤を経て、現在の理解になっているかを「時間軸」に沿ってたどることである。その途中には間違い、時には捏造などもあったりして、紆余曲折の歴史があるかもしれない。しかし、そのような過去の人類の軌跡からも、私たちは学びや発見の手がかりを得ることが出来る。
 福岡さんの言う「ナチュラリスト」とは、自分が何かに気づいたり、発見をしたりするだけでなく、先人や同世代人とそれを共有することを楽しみ、それが何か新しいものを創り出すことに希望を持っている人なのかもしれない。だから、自分の人生という有限の時間の中で、自分は未来の展開を見ることが出来ないかもしれないが、「時間軸」が未来にもつながっていることを感じられれば、いまの自分とまわりの世界が違って見えてくるのではないだろうか。私もそんなナチュラリストのひとりでありたい。

 (まなべ・まこと 恐竜学者)

福岡伸一『ナチュラリスト 生命を愛でる人』978-4-10-332212-2