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書評・エッセイ

進化をやめない大器の三十年

――宮部みゆき『宮部みゆき全一冊』

佐藤誠一郎

「四十にして惑わず」という論語の有名な言葉に、近ごろ新解釈が現れたらしい。孔子の時代にはまだ「惑」の文字はなく、その部分は「或」であったことから、意味としては「四十になって何か新しい分野を切り拓く」というふうに解するほうが自然だというのである。
 本書収録の作品年表を眺めていて、このことに思い当った。「宮部みゆき作家生活30周年記念超ロングインタビュー」でご本人が「二十世紀と二十一世紀で、私、違う作家になっちゃった」と言うとおり、20世紀末に刊行された『理由』と、21世紀初頭の『模倣犯』あたり、つまりミレニアムを機に、新解釈版「四十不或」が作家の内部で起こっていたことになるではないか。作家生活半ばで安定したスタイルを確立してそこに安住したのではなく、むしろそこから脱出することに成功した、ということだろう。
 ミレニアムと言えば、本書の「単行本未収録小説」の中の「あなた」は、まさにその瞬間に書かれたものだ。二〇〇二年元旦の朝日新聞の全面を飾った短編である。主人公はごく稀にしかお目にかからない「あなた」という二人称。「あなた」が誰なのかはお読みいただくしかないが、人知を超えた運命とか、宇宙の進化といったものを感じさせる作品だった。
 故事に関する新解釈の話をもう一つ。「大器晩成」という誰もが知っている言葉があるが、これも用字の研究から長い間の通念が変わりそうなのだという。当時は「晩」ではなく「免」と書かれていたので、正しくは「大器免成」となり、「大器は完成することがない」というのが元来の意味だったというわけだ。
「年表」をめくって誰しも気づくことは、宮部作品が実にコンスタントに世に送り出されてきた点だ。三十年も作家をやっていると、何度かスランプに陥ったりしそうなものだが、この年表には「空白の一年」といったものが見当たらない。スランプに陥る暇もあらばこそ、この作家は常に「もっと先」を追い求めているようだ。
 本書の「宮部みゆきの『この短篇を読め!』」で、小説に使われる小さなモチーフが、二十年ほどを経て進化したケースをひとつ紹介しておいた。最初期の短編集『我らが隣人の犯罪』収録の「サボテンの花」、舞台化もされた人気作だが、このプロットの一部を構成するモチーフが、のちに『ソロモンの偽証』で応用されているのだ。
 何も「ルーツ発見!」と自慢したいわけではない。宮部みゆきは三十年の作家生活の間に、実に様々な着想の種を撒き、その遺伝子を後年グンと進化させてきた。その一端が分かって楽しくて仕方ないのである。ただ、見逃してならないのはその連続性だ。
「単行本未収録小説」の冒頭作品「殺しのあった家」は、今現在小説新潮誌上に連載中の『Ghost Story』のプロトタイプだと言えるし、「泣き虫のドラゴン」は『ブレイブ・ストーリー』の源流だとみることが出来る。ただしプロットの一部が似ていても肝心のテーマは別のところにある。これこそが連続性であり「進化」なのだと私は思う。
 一人の作家が、後年書くことになる作品の数々まで若い頃に設計して、プロトタイプを前もって発表しておいた、なんてことはマサカに属する話だけれど、そのマサカが、この年表から現実味をおびてくるから怖ろしい。
「大器免成」のお話に戻るが、宮部みゆきはまさに「完成されることのない大器」なのだろう。現在までのところ『この世の春』が彼女の最高傑作と考えられるが、その最長不倒記録だって早晩塗り替えられてしまうことだろう。逆に言えばそれがこの作家の「業」なのかもしれない。
 本書には各界の最先端におられる著名人との対話も沢山収められているが、彼女はそうしたカッティング・エッジな話題にすぐさま対応できる柔軟さがあって、ごく遠慮深いその受け答えの中に「進化し続ける大器」の秘密があると感じるのは私だけではあるまい。
 結果として本書は所謂「ファンブック」のカテゴリーを大幅にハミ出すことになった。初めて宮部みゆきを読んでみようという人にも、昔からのファンで娘とその感動を共有したいというプロ級の読者にも、要求に応じた答えが見つかるはずだ。

 (さとう・せいいちろう 編集者)

宮部みゆき『宮部みゆき全一冊』978-4-10-375015-4