対談・鼎談

2018年10月号掲載

とんぼの本『遊廓に泊まる』刊行記念トークイベント @la kagū(ラカグ)

遊廓観光――ダークツーリズムのすすめ

日本地図から「遊廓」が消滅して60年。しかし、今なお現役の“泊まれる遊廓”がある?! 
著者でカメラマンの関根虎洸さん、ともに取材を重ねてきた「実話ナックルズ」元編集長の中山智喜さん、遊廓専門の「カストリ出版」代表で遊廓家の渡辺豪さんという、今日本で最も遊廓に詳しい3人が揃って“夢の跡”へと案内する。
本には載っていない、ここだけの秘密のエピソードも飛び出して……。

対象書籍名:『遊廓に泊まる』(とんぼの本)
対象著者:関根虎洸
対象書籍ISBN:978-4-10-602284-5

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「精進落とし」にショック!

中山 本日は私が司会を務めさせていただきます。まず、書名を見て驚いた方もいるかと思います。遊廓って泊まれるの? そもそももう遊廓はないのでは? 関根さん、遊廓って泊まれるんですか?

関根 泊まれるんです。厳密に言うと元遊廓の「転業旅館」のことで、この本では、遊廓時代の建築の独特の意匠や風情を楽しめて、意外に料金もリーズナブルな14の宿を紹介しました。

中山 このイベントでは「遊廓観光」と名付けたとおり、それぞれの旅館やその町の魅力などを話していただければと思います。今、転業旅館という言葉が出ましたが、渡辺さん、最初に遊廓の歴史的なことを教えていただけますか?

渡辺 ざっと駆け足でお話しますと――いわゆる売春業は古代から自然発生しているので、起源がいつなのかは不明ですが、制度としての「遊廓」は、明治33年発布の法令「娼妓取締規則」からになります。遊廓とは、字のとおり、郭(くるわ)に囲みを作って、一か所に囲い込んだ場所。江戸時代にはたとえば港町や宿場町に飯盛り旅籠のようなものができて、いろいろなかたちのものが散在、混在していたわけですが、この法令で分離統合され、囲い込まれた遊廓として発展した。

中山 吉原みたいな、周りに塀の囲いがあって、というイメージですね。

渡辺 そうですね。それから時代が下って昭和33年、売春防止法が施行されて公娼制度がなくなり、元遊廓の経営者たちはいろんな職種に鞍替えします。部屋数が多かったというのが一番の理由かと思われますが、最多が旅館業でした。それが「転業旅館」です。それから60年経って、もうほとんどなくなってきたのが今、ということです。

中山 関根さんがそうした転業旅館を取材するようになったきっかけは?

関根 2014年に旧満州の大連へ行ったとき、日本統治時代につくられた2か所の遊廓跡も訪ねたんです。一つは、今では繁華街の小崗子に残る遊廓跡。高層ビルがどんどん建設される中で、このエリアだけは取り残されたように昔の煉瓦造りの建物が並んでいる。当時は中国人向けの遊廓で、今は地方からの出稼ぎ労働者が泊まっているような宿になっていました。もう一つは、中心部から少し離れた場所にある逢坂町遊廓跡。こちらは日本人が働き、日本人が行く遊廓だったそうです。最盛期には約70軒の遊廓に900人ほどのいわゆる「からゆきさん」が働いていた。僕はこの時からからゆきさんについて調べ始めたのですが、ある意味、かなりショックだったんです。植民地に遊廓まで作ってしまう、ということにすごく驚いた。
 昭和5年に刊行された『全国遊廓案内』にこの2つの遊廓が載っていて、僕は国会図書館でコピーをとって大連に持参したのですが、ちょうどそのころ渡辺さんがカストリ出版を立ち上げて、この古い本を復刻された。帰国してそれを知って、買おうと思ったら売り切れていて。いつ入りますか? と連絡を入れたのが渡辺さんとの出会いで、それからいろいろ教えていただくようになったんです。

渡辺 最初連絡いただいた時は、すごいハードコアな人だな、と思いました。

関根 転業旅館の取材を始めたきっかけは、もう一つあるんです。それは伊勢で知ったある言葉なんですが......。伊勢神宮の外宮と内宮をつなぐ参宮街道にかつて古市遊廓がありました。ここに唯一残る現役の宿、麻吉旅館は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも出てくる築200年以上の建物。坂道に沿って建つ懸崖造りという木造5階建てで、最上階の大広間では多くの芸妓が伊勢音頭を踊って客たちをもてなしたそうです。眺めも良いですし、地元の食材を使ったお料理も絶品ですよ。さて、江戸時代にはお伊勢参りが大流行して、全国から多くの人が歩いて伊勢へとやってきたのですが、お参りをした後に、男衆は遊廓で遊ぶんです。そしてそれを「精進落とし」と呼んだという。そのなんとも都合のいい言い方に、ぐっと刺さってしまいました。

中山 精進落としって、普通はお弔いの後にする、あれですよね。

関根 はい。伊勢に遊廓があったというのも僕には驚きだったのですが、この言葉がすごく印象に残ってしまって。ちなみに、遊女側も、参拝を済ませていない男はお断りしたらしいです。ほんとに精進落としだと大義を作ったわけですね。
 それからもう一つ。旧東海道の赤坂宿に大橋屋という創業360年の旅籠がありまして、残念なことに3年前に宿をやめて今は泊まれませんが、ここは「飯盛り旅籠」、つまり「飯盛り女」のいる旅籠だったと聞きました。そんな言葉、初めて聞いたし、強烈で驚きました。

中山 飯盛り女とは、いわゆるそういうサービスもする女性ってことですか?

関根 そうですね。ごはんを用意するだけでなくて、夜のお世話もする女性という意味です。広重の『東海道五十三次』にも大橋屋の飯盛り女が描かれていますし、近くの二川宿にある資料館では人形で当時の様子を再現しています。そんなショッキングな言葉もきっかけとなって、調べていくうちに、転業旅館がまだ全国に残っているらしいとわかってきて、中山さんと一緒に取材を始めたわけです。

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関根虎洸さん

今ならぎりぎり間に合う

関根 今日は一つ、取材はできたのに、事情があって本には収録できなかった宿、長岡市の今重旅館を紹介します。住宅街の中にポツンと建っているような、外観はそう変わった感じではない宿なのですが、よく見ると凝った造りをしているのがわかります。どの宿にも共通することが多いのですが、ここにも急な階段があって、部屋もとても小綺麗にしている。昨年いっぱいでご主人が引退して旅館をやめてしまわれたので掲載はやめてほしいとご連絡をいただき、残念だけど掲載を見合わせました。

中山 ほんとに残念でした。

関根 ちょうど昨日(8月2日)から始まった長岡の花火大会は、全国三大花火大会の一つと言われますが、もともとは遊廓業者がお金を出し合って始めたそうなんです。このことをぜひ多くの人に知ってほしいと思いまして、本文にも書いていたのですが......。

中山 ご主人が高齢という意味では、今重旅館に限らず、この本に載っている宿は、いつ営業を終えてもおかしくない、ということでしょうか。

関根 そうですね。僕たちが取材している3年の間に廃業してしまった宿もありましたし。今後10年20年単位で続くとは、ちょっと考えにくいところが多いかな。

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渡辺豪さん

中山 旅館は維持管理も大変だと思います。それなのに、どこの旅館も共通して料金がほんとに安いです。一泊3000円というのもありました。

関根 ある旅館なんか、「いくらですか?」と訊いたら、「いくらがいいですか?」って訊き返されました(笑)。

渡辺 これから長く存続していくのは難しいと思います。後継者不足と言えばそれまでですが、遊廓の設置経緯と関係している部分が大きいかと。やっぱり遊廓は、町の中心地からはちょっと離れた場所に設置されていたわけですから。

中山 いわゆる観光には不向きな場所にある?

渡辺 はい。繁華街からは隔離されているように離れているんですね。ですので、今インバウンドとかで外国人客が増えているとはいっても、足の便は悪いですし、そうした部分が逆風になっているのかな、と思うんです。ゆえに少なくなってきているわけですが、逆に、中心部から離れているからこそ、再開発の波にのまれずに、こうして60年もぎりぎり残ってきたとも言える。今こそ行くべき場所になっているんだと思います。

中山 たしかに。広島の一楽旅館は繁華街にありましたが、そのほかは町から外れたところにありました。逆に、景色がいい、川や港が近くにある、朝ごはんを市場で食べられるなど、楽しいポイントもありました。

遊廓とグルメの親密な関係

関根 そういう楽しみで言えば、おいしいものは大切ですね。男性が遊廓に行く前に精をつけるという意味で、遊廓とグルメは密接な関係にあります。本でも番外で紹介した京都の五番町遊廓跡の妓楼を改装した江畑は、ひじょうにおいしい焼肉屋さんです。五番町は水上勉の『五番町夕霧楼』の舞台にもなったところで、このお店のほかに、すっぽん屋など精のつく食事処が今も残っています。
 この焼肉屋さんのご主人から、じつはうちには遊廓時代の地下牢がある、と伺いました。僕はもう、その「地下牢」という響きに痺れてしまいまして、ぜひ拝見したいとお願いしたところ、「いいよ!」ってことで、従業員の方に案内していただいた。しかも地下牢の壁には閉じ込められた遊女の殴り書きがある、と聞いて、これはいよいよ面白くなってきたぞ、と期待に胸を膨らませながら地下への階段を下りました。さて薄暗い中、壁をよく見ると、たしかになにやら文字が浮かび上っている。その場では夢中で写真を撮りました。それで帰宅してから大きく伸ばしてみたら......なんか「仕上ゲ」とか「セメント」とかの言葉があって、どうも建築業者が書いたものかな~と。でも、お店の方も遊女が書いた、と信じていらっしゃるので、なんだか言い出しにくくなっちゃって。建築業者が書いたものかもしれない、という曖昧なニュアンスで本に書きました。

中山 破れた壁紙から覗くように見える文字で、さもそのように見えるんです。

関根 ある種のドキドキするような恐怖感がありましたよね、階段を下りながら。

中山 今は遊廓に関して、インターネット等でたくさんの情報が出ている時代ですが、この件については、一切出ていませんからね。

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中山智喜さん

洲崎パラダイス最後の物件

中山 ここでもうひとつ、異色の物件のお話をしましょうか。

関根 都内の洲崎遊廓跡、戦後は洲崎パラダイスと呼ばれた場所にあった転業アパートです。売春防止法施行後、遊廓は旅館のほか、料亭やアパートの経営にも分かれていった。こちらは取り壊す直前のタイミングで撮影する機会をいただきました。銭湯のような木札の鍵の下駄箱は、赤線時代のものをアパートでも使っていたそうです。

中山 一つだけ鍵のない下駄箱があって、こわごわ開けてみたら......空でした。なにか入っていたらいいなと思ったのですが、残念。踊り場のある磨きこまれた階段とか、竹の連子窓や部屋の天井の独特の意匠とか、オーナーさん曰く、赤線当時のママとおっしゃってましたね。

関根 家賃はだいたい3から4万で、共同の手洗い場やお風呂がありました。

中山 撮影は昨年2月でしたが、これが事実上最後の姿ですね。外観がなんてことない感じなので、あまり知られずに残っていたのかもしれませんが、オーナーさんに確認したところ、このアパートが洲崎パラダイスに残る昔の建物の最後の1軒だったようです。

関根 全国的に遊廓からアパートに転業したというのは、少ないのでしょうか?

渡辺 よくはわかりませんが、一番多かったのは旅館業で、四分の一が旅館に転業したそうです。1部屋ずつ貸して家賃が入ってくるアパート経営は収入が安定しますが、稼働率を高めて1部屋にどんどん人を泊める旅館の方が利益率が高かった、ということなのだと思います。

中山 京都の橋本遊廓で伺ったのですが、旅館業はなかなか許可が下りなかったとか。設備の問題などで、望んだとしても全部が全部、旅館にできたわけではなかった。そんな場合、アパートとして企業の社員寮にしたという話を聞きました。

関根 それから温泉掘って温泉旅館にしようとしたけれども、冷泉しか出なかった話も。生き残りのために、みなさんなかなか苦労されたようですね。

渡辺 旅館にすると、そのまままたそこで売春業を行なってしまうのではないか、という当局側の警戒もあったでしょう。東京の吉原ではボーリングして温泉を掘り当てたようですが、ほかでも温泉旅館街を目指したところが多かったようですね。どこかモデルケースのようなところがあって、みんなそれを真似しようとしたのかもしれません。

中山 この取材では、温泉のある転業旅館って、残念ながら、ありませんでした。

関根 温泉はなかったですが、わりとどの宿からも近いところに、時代がかった銭湯がありましたね。

絶対おすすめの転業旅館、ベスト3

中山 それでは具体的に、とくにおすすめの旅館を3つ、ご紹介しましょう。まずは八戸市の新むつ旅館。本のカバー写真にもなっているところです。ここは、まあ、とんでもない旅館。

関根 初めて行く方にも絶対おすすめの1軒。そこは3人、意見が一致してます。

渡辺 じつは私が泊まったのは一回だけで、その時3部屋あって、2部屋が豪華な感じだったのですが、その2つが埋まっていて、私は布団部屋みたいのに押しこめられてあまり満喫できなかった(笑)。また行きたい。リベンジします。

中山 住宅街にあるんですが、外観がとてつもなく存在感があります。玄関に入ると有名なY字階段。圧倒されます。

関根 明治時代の遊廓の姿をほぼそのまま残している建築自体すごいのですが、この宿は女将さんがとても遊廓文化に理解が深くて、昔の資料類をたくさん残していて見せてくださる。こうした貴重な資料を閲覧できるということも、おすすめできるポイントです。明治32年の「遊客帳」には、接客した女性の名だけでなく、客の容姿や注文した食べ物、飲み物まで記してある。警察と遊廓がつながっていて、犯罪防止にも役立てていたということで、ちょっと意外だった。想像もしていなかったので、ああなるほど、と感心しました。

中山 しっかり管理されていたんですね。こうしたものは行かなければ見られないので、行ったときに、ぜひ。そして、何と言っても、近くの港の市場の朝ごはんがおすすめです!

関根 旅館の朝ごはんも良いのですが、八戸の港でも味わっていただきたいですね。

中山 次は同じ青森県ですが、すこし山間に入った黒石市の中村旅館

関根 こちらは、僕がまだ行ったことのない宿の中で、渡辺さんが一番のおすすめだと教えてくれた旅館でした。雪景色で撮影したいと思い、寒い冬を待って雪が積もった時期を見計らって訪ねました。

中山 中に一歩入ると、やっぱり階段がありますね。

関根 急な階段なのに手摺が低いな、と思って見ていたら、ここの80歳くらいの女将さんがひじょうに味のある方なのですが、「これは階段じゃないんだよ、"顔見世"だよ」と教えてくれた。つまり、ここに女性たちが並んで、下の土間からお客が見て女性を選ぶというものだったんですね。遊廓建築の独特な遊び心が多々見られる素晴らしい宿です。

中山 そしてここも朝食がおいしかった。焼き海苔、納豆、塩じゃけ、目玉焼きに温かいお味噌汁......こんな正当な朝ごはんらしい朝ごはんを出してくれる旅館って、もう珍しいのではないでしょうか。女将さんが作ってくれた、もうそれだけで涙が出ちゃいます。

関根 ええ。朝食だけで見てもベスト3に入りますね。

中山 本当に。旅館に泊まるうえで、朝食ってホントに楽しみだし、大切ですね。

関根 そしてもう一つ、やはりベスト3の朝食を出す、萩市の芳和荘

中山 ご主人が磨き好きで、どこもつやっつや。すごく清潔で、リーズナブル。

関根 部屋から出ると中庭に面していて、景観も楽しめる。中庭をぐるり囲んだ回廊の欄干には、「ちょうしゅうらう」と文字がくりぬかれていて、これが「裏屋号」だったそうです。渡辺さん、裏屋号とはどういうことでしょう?

渡辺 いや、私も初耳です。驚きました。

関根 僕も結局それ以上のことがわからなかったんです。

中山 欄干に文字を入れるというのも独特の遊び心ですね。そして朝ごはん!

関根 東京の名店で修業したご主人が作るそうです。とてもおいしかった!

中山 こうして3年取材して来て、あらためていかがですか?

関根 10年ほど前からでしょうか、チェルノブイリやアウシュビッツ、日本でも広島や東日本大震災の被災地のような、人間にとって悲しみの地をめぐる旅、ダークツーリズムに関心が寄せられるようになって、いわゆる負の遺産を「観光」する価値について考えるようになりました。そうした意味からも、遊廓跡や転業旅館もまた、すこし余裕があったら、ぜひ訪ねていただいて、いろいろ思いを馳せるきっかけとなってもらえたらいいな、と思います。

中山 渡辺さんは現在のお仕事をされる以前から、全国の遊廓地帯などを旅行されていましたね。

渡辺 初めは物珍しさが勝っていたんだと思いますが、なぜそこに遊廓があったのかを調べていくと、その町に漁港があったとか、鉱山があって栄えていたとか、遊廓を通してその土地を知ることができました。遊廓はまさに町の「窓」のような存在で、もしもその土地に遊廓がなかったら、歴史の1ページから大事なものが欠落してしまうようにさえ思えます。ダークという言葉にはいろいろな捉え方があるかと思いますが、人間の業のようなものと結びついていると思う。変に構えなくても、等身大の視点で地域の歴史に接することができるんじゃないか、などと感じながら、訪ね歩いています。

中山 転業旅館に泊まることをきっかけに、ガイドブックに載っていないような場所を探したり、その町を自分で調べる楽しみ方もありますよね。

関根 この本に載せた旅館は、全部自信をもっておすすめできるところばかりです。そこに嘘は断じてないのですが、じつは、到着するやいなや、待ち構えてくれていたようにご主人と酒盛りが始まっちゃった宿もありました(笑)。さすがにそこを1軒目に選んでしまうと、ハードルが高いかも。最後に紹介した3軒は、最初に行くべき宿としても絶対に間違いがないので、ぜひ「遊廓を体験」する旅に出かけて、本書を二倍三倍に楽しんでください。

 (せきね・ここう カメラマン)
 (なかやま・ともき 「実話ナックルズ」元編集長)
 (わたなべ・ごう 遊廓家)

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