書評

2018年7月号掲載

浮かび上がる異様さと恐怖

――芦沢央『火のないところに煙は』

榊桔平

対象書籍名:『火のないところに煙は』
対象著者:芦沢央
対象書籍ISBN:978-4-10-101432-6

 オカルトライターだと名乗ると、大抵の人は、へえ、オカルト、と戸惑い交じりに繰り返す。その後の反応は「それってお化けとか都市伝説とか?」と続けたり、「ライターさんなんですね、私文章を書くの苦手なんで尊敬します」とオカルトの部分は聞かなかったことにしたり、と様々だが、ほとんどの人に共通して見られるのは「胡散(うさん)臭い」という感情と「でもそれを言ったらこの人に悪い」という気遣いだ。
 だが、そんな気遣いは無用である。私自身、この仕事については昔も今も胡散臭いと思っているのだから。そして、私にとって胡散臭いとは褒(ほ)め言葉でしかない。嘘か真かわからない事象の、何と魅力的なことか。
 ただ、長いことこの仕事をしていると、時に本物だとしか思えない事象に出合うこともある。たとえば、本作第一話で登場した「ポスターの奇妙な染み」のように。
 第一話「染み」は、著者の芦沢央(あしざわよう)自身が大学時代の友人を介して聞いた怪異について書かれた話だ。相談者の女性の口から語られるのは、恋人との別れ話がもつれ、「別れるなら死ぬ」と言われて関係を続けざるを得なくなったというエピソード。親しかったはずの人間が突然豹変して意思が疎通できなくなる恐怖も読ませるが、やはり何よりの肝はその彼の死後に起こるようになった不可解な現象だろう。
 詳細については本文を読まれたいが、私は芦沢からこの件を相談されたとき、思わず身を乗り出していた。こういう「当たり」を引き寄せられるかどうかというのは運だ。
 そして、芦沢が「もっている」ことはこれ以降の話でも証明されていく。三話目は私が芦沢に話したことだから置いておくとしても、一話目を読んだ人が二話目を持ち込み、三話目の校閲担当者が四話目を持ち込み、四話目に登場する不動産屋繋がりで五話目が持ち込まれる、という形で次々に怪異にまつわる話が集まっていったのだ。
"事象(編集部注:原文ママ。自称のことか)霊感少女"が、突っ込みどころ満載の祟りについて語る「お祓(はら)いを頼む女」。虚言癖の隣人のせいで妻からありもしない浮気を疑われて追い詰められていく男を描いた「妄言」。なぜか代々の嫁だけが火事で焼け死ぬ夢を見る家で起こった悲劇「助けてって言ったのに」。お祓いをしてもらったがために霊障が激化していく、というある意味オーソドックスな怪談から胸を打つ真相が立ち上ってくる「誰かの怪異」。
 特に最終話(編集部注:原文ママ。最終稿では全六話構成となりましたが、この書評原稿の段階では全五話構成だったため、これは第五話を意味します)は怪談やホラー小説を怖がりながら好んで読んできた人間ほど衝撃を受けるのではないか。怪談というものが伝統的に語り継がれてきた意味にも踏み込んでいく傑作だ。
 これらはすべて異なる経緯で持ち込まれた話だが、全話に共通するのは謎解きの要素を中核においたミステリでもあるということだ。どの話もことさら恐怖を演出したり不可解な結論に持ち込もうとしたりすることがなく、むしろ何とかして論理で読み解こうと挑んでいる。だからこそ、その先に浮かび上がってくる異様さと恐怖は説得力を持つのだ。
 もちろん、本作を信じるか疑うかは、あくまでもあなた次第である。とは言え、長年こうした話を集めてきた私からすれば、ここまで次々と怪異譚が引き寄せられてくること自体が異様に感じられるのだが......。

 (さかき・きっぺい オカルトライター)

この原稿は二〇一八年二月二十日に榊桔平氏から寄稿されたものですが、翌々日の二十二日、榊氏から追加取材をして原稿を差し替えたいという連絡を受けました。しかし、約束の期日を過ぎても原稿は届かず、六月十五日現在、依然として榊氏とは連絡が取れずにいます。榊氏のSNSも二月末日の〈当たりだ。本物だった〉という投稿を最後に更新されていません。著者校正も未了ですが、作品の魅力を的確に伝えている原稿を埋もれさせてしまうのは惜しく、注を入れた上で掲載させていただくことにしました。なお、榊氏と連絡が取れなくなった経緯は、本作の最終話として書き加えた上、刊行いたします。 (編集部)

最新の書評

ページの先頭へ