書評

2018年6月号掲載

『一発屋芸人列伝』刊行記念特集

君たちはどう生き残るか

――山田ルイ53世『一発屋芸人列伝』

武田砂鉄

対象書籍名:『一発屋芸人列伝』
対象著者:山田ルイ53世
対象書籍ISBN:978-4-10-102461-5

 宝くじで高額当選すると、「【その日】から読む本 突然の幸福に戸惑わないために」と題された冊子が配られるそうだが、突如としてブレイクした芸人に「戸惑わないために」と声をかけてくれる人はいない。「突然の幸福」をひた走るしかない。流行ってる存在を猛スピードで搾り取る芸能界の荒波に乗り、やがて溺れる。ようやく自分で息ができるようになったと思えば、すでに波は止んでいる。さっきまで、荒波に乗り続けていたのに、気づけば、誰一人いない砂浜に打ち上げられ、無慈悲な直射日光で干上がってしまう。
「コラーゲン、主電源」「柴咲コウ、尾行」などの脱力系ラップで人気を博したジョイマン。ブームから数年後に開かれたサイン会の集客はゼロ名。ジョイマンの高木は、Twitterでエゴサーチを始め、「ジョイマン消えた」などのコメントを見つけては、「ここにいるよ!」と返信し始める。消された者たちが、ここにいるよ、と呟く。ここ、って一体どこなのか。必死の生存を、大衆は嗤う。
 一発屋、との言葉は揶揄として使われるが、冷静に見直せば、ほぼ賞賛に等しい言葉である。なんたって、一発当たっているのだ。「オリンピック金メダリスト」との肩書きさえあれば、そのスポーツ界では死ぬまで(死んでも)「レジェンド」と敬われるが、一発当てた芸人に尊敬は持続しない。
 ワイングラスを合わせながら「○○やないかーい!!」と賑やかすネタでブレイクした髭男爵・山田ルイ53世が、同じ境遇に置かれた一発屋芸人を訪ね歩き、「瞬間最大風速」に乗った後の無風状態をいかに耐え抜いたのかを聞き取っていく。そこに安易な同調はない。卑下するわけでもない。ギター侍・波田陽区が「一発屋の人なら分かると思うんですけど......」と道連れを欲するような発言をしても、山田は「共感したら終わり」と冷静に距離をとる。
 一発屋芸人が、かつての賑やかな場に戻れるのは、「あの時は○○だったのに、今は......」と自虐を携えて出向く時のみ。ホコリをかぶった金メダルを拭きながら、わざわざ笑われに出戻る行為が、麻薬のような中毒性を持ってしまう。でも、ハンドリングはできない。体を痛め、無風の地に帰る。
 一発屋芸人自ら一発屋芸人という存在を見つめる本書には、世の中から弾き飛ばされた者だけが知る哀感が随所に滲み出る。その哀感を味わい、復古するための光源を共に探る。レイザーラモンHGは「僕達には、経験してきたものをこれからの一発屋に伝える役目がある」と、一発屋芸人たちの「心のセーフティネット」を自ら買って出る。ロケバス運転手を兼務し始めたムーディ勝山は、友人である天津・木村から、まさかの「ネタ被り」を仕組まれ、やがて「ロケバスネタ」という狭い世界で共存を誓い合う。「とにかく明るい"不倫現場"安村がパンツを脱いだ!」という、記者のドヤ顔が透ける見出しで早々に勢いが萎んだ芸人は「俺はまだまだやれる!」と、「一発屋1年生らしい、滾り」を見せる。
 人間は、人が落ちぶれていくのを見たがる生き物である。嘲笑うことで自分を肯定したがる生き物である。だから、戦力外通告を受けた野球選手の苦悩が好きだ。結婚詐欺だとは知らずに大金を注いだ中年男の悲運が好きだ。相次ぐ不祥事で土下座をする経営者の憔悴が好きだ。つまり、人間は、自分以外の誰かを、適当に片付けるのが好きだ。あいつはもう終わったねと、押し入れに収納するのが好きだ。
 でも、人間って、なかなか終わらない。瀕死なりに息をする。耳をそば立てた時にかすかに聞こえる声には、大切に残しておいた言葉がある。才能がぶつかり合い、摩擦熱で浮遊し続ける芸能界から切り捨てられ、地べたで根を張らざるを得なくなった芸人たちの声。山田の筆致には、対象への愛情と共に、自らの体に残る困惑が静かに忍び込む。「瞬間最大風速」で通り過ぎた後、芸人に残るものとは何か。
 磨けば光る原石、なんて言い方があるけれど、この本を読むと、そういうことじゃない、と思う。磨いて光るのが原石ではなく、むしろ、削って削って最後まで残ったのが原石なのではないか。一発屋芸人が、更地に戻ってから立ち上がる。その原石が放つ、僅かな光が眩しい。自家発電で光を得た静かな喜びの数々が、本全体を多幸感で包み込んでいく。

 (たけだ・さてつ ライター)

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