書評

2018年6月号掲載

身を焼き尽くすほどの「平和(あなた)」への恋

――小手鞠るい『炎の来歴』

中島京子

対象書籍名:『炎の来歴』
対象著者:小手鞠るい
対象書籍ISBN:978-4-10-437106-8

 わたしが子どもだったころ、周囲の大人たちは例外なく戦争経験者で、それぞれに飢えの体験や死者の思い出や、語るに語れない戦地の記憶を抱えていたものだった。
 昭和四十年代にぽこぽこ建った団地で幼少期から思春期を過ごしたのだが、バス通りを挟んだ向こうには、緑色のフェンスで囲まれた米軍駐屯地があった。朝鮮戦争時には、そこから一万五千人の兵士が前線に送られたのだという。その広大な土地は一部を除いて、わたしが小学生のころに返還になるのだけれど、それはとうぜん、ヴェトナム戦争の終結と米軍の撤退に関係している。その戦争は、わたしが生まれるより前から続いていて、駐屯地内にはヘリポートが作られ、野戦病院が置かれた。そこには重傷を負った米軍の兵士たちがヘリコプターで運ばれてきた。本書を読んで、あの時代、自分の幼いころを覆っていた空気を思い出した。
『炎の来歴』は、ある日本人の手記というか、手紙のような形をとっている。北川というこの人物が語るのは、太平洋戦争終結後からヴェトナム戦争の時代の話だ。
 北川は終戦を十代の前半で迎え、空襲の中を逃げまどった記憶を持っている。その彼が、戦後、ある事情でアメリカ人女性の手紙を入手し、それに返事を書いたことから、海を越えた十四年の文通が始まる。アメリカ人女性は情熱的な反戦活動家で、彼女のために熱心に原爆の資料などを送るうち、いつのまにか感化された北川も反戦思想を持ち実践するようになる。手紙を交わすほどに募るアメリカ人女性への思慕は、全編ラブレターのような小説の大きなテーマであり、北川のとるあらゆる行動の理由ではある。しかし、自身の戦争体験も重要で、彼の生き方の根底には、戦後多くの日本人に共有されていただろう、もう二度と戦争は嫌だという実感がある。
 極東の島で暮らす会ったこともない男に、「平和」への熱烈な思いを綴って寄こすアメリカ人女性には、さらに切実な「もう二度と」の願いがある。彼女はユダヤ人で、ホロコーストを逃れてアメリカに渡った人物だった。大量虐殺への怒り、戦争の背後に必ず存在する人種差別への憎しみが、妄執のような「平和」への希求となっている。けれど、彼女の祈りはむなしく、第二次大戦後のアメリカは朝鮮戦争を皮切りに、他国への軍事的介入を繰り返す。ヨーロッパと違い、戦場になったことのないアメリカでは反戦運動に切実さがないと彼女は思い、原爆の犠牲になった国に生きる青年となら、思いを共有できると信じているかのようだ。その思いはいつしか、「恋」としか名づけようもない激情へと変わるのだけれど。
 小説の後半は、泥沼化したヴェトナム戦争に絶望した彼女がとった、あるショッキングな行動と、その衝撃に突き動かされた北川が自身の目で見ることになる北ヴェトナムの戦場の描写が主になる。降り注ぐナパーム弾、機関銃の嵐、クラスター爆弾の犠牲になった人々――。ローリング・サンダー作戦、枯葉作戦。武器物量で圧倒するアメリカと対抗するために、北ヴェトナムが行った報復――。
 自分がいかにヴェトナム戦争を知らないか、ということを考えさせられた。毎年、八月になれば振り返る太平洋戦争と違って、日本が当事国ではないという意識のためなのか、ほとんど報道もない。けれど、当事国でないと思うのはずいぶんとずうずうしい話で、アメリカの爆撃機はみんな日本の基地から飛んだのだ。悪名高きナパーム弾の原料の九〇%が日本で生産された、という記述を見て愕然とする。
 読んでいると、小説の中のヴェトナムへの爆撃は、現在の、たとえばシリアやイラクへのそれとオーヴァーラップしてくる。彼女は、彼は、あんなにも願ったのに、世界はいまだに殺戮をやめない。「平和」に恋い焦がれ、二人だけの言葉を紡ぎ合った恋人たちの叫びが重なり、主人公たちの狂おしいような思いは、そのまま重く読者に手渡される。

 (なかじま・きょうこ 作家)

最新の書評

ページの先頭へ