インタビュー

2018年1月号掲載

『ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力』刊行記念特集 インタビュー 前編

私は二千五百年を生きた 前編

聞き手 伊藤幸人(新潮社取締役)

塩野七生

「最後の歴史エッセイ」と決めて書いた作品が刊行されたばかりの塩野七生さん。選ばれた題材は、弱冠二十歳でマケドニアの王となり、三十二歳で夢のように消え去ってしまったアレクサンダー大王。なぜアレクサンダーを選んだのか、歴史を書く喜び、読む愉しみについて聞いた。

対象書籍名:『ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力』(新潮文庫版分冊『ギリシア人の物語3―都市国家ギリシアの終焉―(新潮文庫)』『ギリシア人の物語4―新しき力―(新潮文庫)』)
対象著者:塩野七生
対象書籍ISBN:978-4-10-118114-1/978-4-10-118115-8

――塩野さんが書いた文章がはじめて雑誌「中央公論」に掲載されたのが一九六八年。来年でデビュー五十年ということになります。今日はこの間のことをいろいろとお聞かせいただければと思っています。私がはじめて塩野さんと仕事をしたのは二十八歳のとき、三十五年前ということになります。

塩野 聞き手があなたでなければ言葉を選ぶところですが、今日はちょっとしゃべりすぎちゃうかもね。それにしても三十五年ですか。ずいぶんうまいこと続いたわね。喧嘩もせずに。

――どうしてでしょうね。私も至らないことがずいぶんありましたが。

塩野 私が外国にいたからよ。あんまり会わなかったっていうだけ(笑)。喧嘩もせず、非常にいい距離感で仕事をしながら、この三十五年を過ごしてきたわけです。

――歴史エッセイ、つまり塩野さんの定義するところの「調べて、考えて、歴史を再構築する作品」としては最後と決めてお書きになりました。

塩野 そう。これでおしまい。作家生命の終わりってわけ(笑)。

二十二年間、愛撫してきた

――最後の歴史エッセイ、編集作業を終えていかがですか。

塩野 これまでも一作ごと、「やった!」という感じで書いてきましたけれど、今度も「終わった!」という、ただそれだけです。あんまり私、過去は振り返らないので。振り返るほどの過去でもないし......。

――長大なマラソンを走り続けてきたみたいなものですよ。

塩野 まあ、そうかもしれません。誰も走らない道を。

――最後の作品をアレクサンダーでいくということは、ずいぶん前から伺っていました。一番最後に一番若い男を書く、と。有言実行ですね。先に宣言してしまって、それに向けて自分を追い込んできたということですか。

塩野 そんな格好のいいものじゃないんです。そんな真面目に考えていたら五十年も続かない。ただ書きたいなと、ずっとそう思っていたというだけ。イタリア語で「アカレツァーレ」っていうんです。「愛撫する」という意味。「書こうかな、書きたいな」という想いを愛撫し続けてきた。時にはコラムか何かでちょっと書いてみて、自分の気持ちを確かめたりして。そして、これ以上はもう待てないというところまで持っていくわけ。カエサルについて書こうかなと思っていたときなんて、カエサルの名前を耳にするだけで気分が昂ぶりました。そこまで行って、ようやく書ける。ずいぶん時間はかかりましたけれど、それでもきちんと書いたでしょう? 私、自分の人生はね、あんまりオーガナイズできないの。なんだか散らかった人生です。でも仕事はオーガナイズする。もう二十数年前のことだと思いますが、アレクサンダーを「書ける!」と思って、それからアカレツァーレ、愛撫してきた。愛撫はするけれども、ベッドインまではしていないという感じでね(笑)。

――ベッドインするまでに二十数年もかけたわけですね。

塩野 こんなこと言っちゃっていいのかしら、私。「波」の生真面目な読者には刺激的過ぎるかな。

――塩野さんらしい比喩です(笑)。

塩野 もともとアレクサンダーのことは、それほど好きではなかった。誰かの書いたものを読んで、なんだか優等生みたいなことばかり言うなという印象だった。しかしある時――『ローマ人の物語』の第四巻と第五巻でユリウス・カエサルを書き終えた直後の頃だと思いますが――大英博物館が企画したアレクサンダー展がローマに巡回してきて、それを昼下がりに見たんです。「イッソスの会戦」に代表される有名な戦闘を再現したミニチュアなんかを見ていて、「書ける!」と思った。「書きたい!」と。カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです。

――カエサルを書き終えた頃となると二十二年前ですね。

塩野 アレクサンダーという男は西洋史最大のスターの一人です。ヨーロッパ人であれば誰でも彼のことを知っている。それは彼が「永遠の青春」、その象徴だから。だけどおかしな話でね。『ローマ人の物語』だってはじめからローマの通史を書こうと思ってたんじゃないんです。ただカエサルが書きたかった。これは歴史家ブルクハルトの言葉ですけれど、歴史上にはなぜか過去がすべてその一人の人物の中に注ぎ込み、そのあとにやってくる時代のすべてがその一人の人間から流れ出すような、そういう人間がいるんです。

――カエサルがそうだったわけですね。

塩野 ソクラテスもそうかもしれない。イエス・キリストもそうです。卑近な例を挙げればエルヴィス・プレスリーもそう。黒人音楽やカントリー・ミュージック、ヒスパニックの音楽まで、何から何までもが彼に流れ込み、その後はすべて彼から始まる。ビートルズやローリング・ストーンズ――。だからカエサルを書こうと思ったら、彼の前の時代のローマを書かなければ話にならないと思ったし、彼のあとのローマも書かなきゃってことで、それであんな十五巻もの長い作品になったんですね。アレクサンダーも同じことです。うちの息子には「ママ、アレクサンダーだけを書くって話だったんじゃないの?」って言われましたけれど。いろいろとお勉強をしてみると、この人はマケドニア王ではあるけれど、やっぱり「ギリシア人」だと。となれば、ギリシア人の歴史すべてを書かないといけない。

――それで全三巻になったわけですね。

塩野 一巻のはずが三巻に増えちゃった(笑)。

ボーダーレスな生き方

――塩野さんは、単に「若い男」というよりは「精神が若い人」が好きですよね。つまり、若々しい精神。

塩野 粕谷一希(中央公論社の編集者。塩野さんのデビューのきっかけを作った)が言ったことだったかな。私の好きな男にはタイプがあるんですって。まずもってエリートであること。それでいて偏見から自由な男。つまり「ボーダーレス」な男が好きなんです。

――境界を越える男。アレクサンダーもその一人ですね。

塩野 通史を書く以上は、ボーダーを越えられなくてウジウジする男たちのことも書かなきゃならない場合もありますが、中心的な人物は必ずそういうタイプだった。神聖ローマ皇帝だったフリードリッヒ二世だってその典型ですよ。彼はドイツとイタリアのハーフですしね。

――逆に「純血主義」とか「頑迷固陋」とか、柔軟性の欠如した人々は許し難いともお考えですよね。

塩野 私が一番嫌いなのは、「狂信的」な人。なにしろ私自身がボーダーレスなんです。普通ならばお見合いして結婚するのが私の卒業した学習院大学の女の子の伝統なのに、ヨーロッパに行って、イタリア男と結婚し、子どもまで作っちゃった。これだけでも相当に型破りだったんです。今でも覚えています。最初にヨーロッパに向けて発ったとき、飛行機の座席に座って、「もう後戻りはできない。お見合いして、妥当に結婚するという道は、もはやない」と思った。当時はね、イタリア男は「ラテン・ラバー」とかって言われて、いたく悪名高くてね。そういう国に娘を送ることになったんだから、うちの両親もちょっとばかりは心配したかもしれない。

――それはご心配だったでしょう。

塩野 帰国して、お見合いしたとしても、「イタリアに一年いました」っていうだけで、なんというか、「傷がついてる」とまでは言わないけどね(笑)。そう思われたでしょう。しかし普通の道から外れることを、私は選んだ。だから境界を悠然と越える男たちが好きなんですよ。それにもう一つ、私はリスクを負う男が好きなんです。「一人で全責任を負う」という男が好き。

――アレクサンダーはまさにその典型ですね。今度の作品の中で僕らがもっとも魅了されるのは、常に戦闘の最前線に立つという点ですね。「ダイヤの切っ先」という比喩をお使いになっていましたけれど。

塩野 彼は部下たち、つまり兵士たちに愛されたんです。だって、いつだって誰よりも先にリスクを負って飛び出すのだから。人間ってみんな、そうじゃないかと思うんですね。リスクを負う人間を愛するんです。

――リーダーにとって絶対に必要な条件ですよね。リスクを取らないリーダー、常に自分の身の安全を図ろうとするリーダーには誰もついていかない。

塩野 アレクサンダーを書くということは、私自身がリスクを負うということでもあったんです。何しろこちらは八十歳で、二十代の男を書こうというのだから。最後まで安全な人生は選ばなかったつもりです。だから書き終えた今は少しくらい休んでもいいんじゃないのかなという気分です(笑)。うちの息子は信じませんけれど。「ママは書いているから生きてんだ」って言ってます。それで、あなたはこの作品はどうでした? 面白かった?

――面白かった。胸がすく思いがしましたね。若さゆえに成し得た大偉業、若さゆえに駆け抜けた。まさに「永遠の青春」ですね。

塩野 私はもう老いぼれだけど、老いぼれた作家が老いぼれた主人公を書くというのはリスクを負っていないということになると思うんです。だってそれはごくごく自然なことじゃないですか。書評家たちは褒めてくれるかもしれないけれど。「ついに塩野七生も老境を書いた、枯淡の域に達した」とかいってね。でも私が最後の作品で背負うことができるリスクというのは何かといったらね、三十二歳で燃え尽きるように死んでしまったこの若い男を、八十歳になったこの私が書くということですよ。

歴史を書く喜び、読む愉しみ

塩野 私は独自性とかオリジナリティなんて考えたこともないんです。かのアインシュタインが「われわれの仕事の成果は九十五パーセント以上、先人の業績に負っている」と言うんだから、私のような凡人は百パーセント近く先人の業績に負っているわけです。私はアレクサンダーを書きたいんであって、塩野七生を書きたいということではない。塩野七生の独自性がどこにあるかといえば、このアレクサンダーという人間を選んだという、それだけのことです。

――しかしこれで、古代・中世・ルネサンスと、地中海が西洋史の中心だった時代をすべて一人で書きましたね。

塩野 神話のような時代を含めれば二千五百年くらいですか。この仕事を始めた頃から数えれば五十年くらい生きてきたわけですが、しかし歴史を書くということは、その二千五百年を生きたということなんです。そしてそれは読者も同じことです。二千五百年を読むことで、二千五百年を生きることができる。これが歴史を書き、読む愉しみなの。私は読者にもそれを体験してもらいたいんです。

――塩野さんの後を追いかけて、歴史を追体験するようなものですからね。

塩野 私は「現代ビジネスマンのための世界史」というような本は死んでも書きたくありません。なぜなら、ビジネスマンのためになる史実、歴史だけをピックアップすることになってしまう。

――あとは捨象しちゃうことになります。

塩野 そう。それでは歴史を書いたことにはならない。それにもう一つ。作家としてはちょっとばかり打算的な計算もあるわけだ。

――打算的?

塩野 だって現代人のためだけに書いていたら、時代が変わってしまったときに困るじゃない。売れなくなっちゃうもの(笑)。そういうものって、必ずしも経済的に見ても利口なやり方ではないのではないですか? 時代に合ったものって、非常に早く時代遅れになりますから。

――しかし現代人のために加工した歴史は書かないとなると、読者に求める水準が高いとも言えませんか。

塩野 その通り。筋肉だってちょっと無理しないと強くならないじゃないですか。いつもできることばかりやっていたら筋肉は鍛えられない。頭脳もまったく同じなんです。

――でも塩野さんご自身は非常にビジネスマン的でもありますよね。

塩野 だってあなた、全力投球して書いた作品ですよ。いかに長い命を持たせるか考えるなんて、当たり前のことじゃないですか。

オープンな精神を持った人々に支えられてきた

塩野 といって私だって商売のことばかり考えているわけでもないんです。『アマデウス』という映画をご覧になりましたか。主人公のモーツァルトがお姑さんに何だか文句を言われているシーン。彼はそれをてきとうに聞き流しているわけですが、そんな時にあの『魔笛』の「夜の女王のアリア」のメロディが生まれる。ふっと......テイクオフするみたいに。「善悪の彼岸を超える瞬間」といってもいい。

――離陸する感じですか。ふっと。

塩野 いつまでも飛行場に留まっていては、私にとっては書く意味がない。テイクオフする瞬間がなければ、作家とは言えない。私の読者はみんなその瞬間を待ってくれているのですから。私の読者ってね、この五十年の経験から言えば、まずもって男女の別がない。年齢の別もない。地位の別もありません。大会社の社長がいるかと思うと看護婦さんがいたり、小さい町の町長さんもいるし、公務員もいれば、学者、学生もいる。もちろん主婦もいる。でも彼ら彼女らに共通するのは、自分の世界に安住しない人だということなんです。自分の知らない世界へとテイクオフする勇気を持っている人々。オープンな精神を持った人。そういう読者に私は支えられてきましたね。

――狂信的とは真逆の人々ですね。

塩野 私はこの五十年間、ボーダーを越える勇気を持った人々に支えられて書いてきたのです。

 (次号に続く

 (しおの・ななみ 作家)

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