書評

2017年9月号掲載

再びの南北戦争を描く暗黒郷(ディストピア)小説

――オマル・エル=アッカド『アメリカン・ウォー』上・下(新潮文庫)

三橋曉

対象書籍名:『アメリカン・ウォー』上・下(新潮文庫)
対象著者:オマル・エル=アッカド
対象書籍ISBN:978-4-10-220131-2/978-4-10-220132-9

 昨年、すなわち2016年は、エンタテインメント文学の読者にとって、忘れられない一年だったと思う。
 まず6月にイギリスで行われた国民投票で、同国の欧州連合(EU)からの離脱が決まった。そして11月、今度はアメリカの大統領選挙で、二期に渡ったオバマ政権の政策にNOを突きつけたドナルド・トランプ候補が勝利をおさめたのだ。
 どちらも僅差の結果ではあったが、これまでフィクションで世界を揺がす様々な"イフ(もしも)"を体験してきた読者も、虚構が現実に取って代わったかのような事態のつるべ打ちに、ショックを受けたに違いない。しかし、そんな不安に追い打ちをかけ、この先に待つさらなる恐るべき現実を突きつけるのが、この『アメリカン・ウォー』である。
 本を開いてまず愕然とするのは、掲げられた北米の地図からフロリダ半島が消えていることだろう。2075年という近未来、進んだ温暖化により海面が上昇し、アメリカ大陸でも各地で陸地が水没している。今年六月にアメリカの新大統領は、気候変動対策の重要な取り決めであるパリ協定からの離脱を宣言したが、そんなアメリカ合衆国の現在と地続きの未来の姿が、この小説の中にあるのだ。
 それだけではない。今世紀に入ってからというもの、大統領選のたびに、州民の支持政党によりアメリカの地図は赤(共和党)と青(民主党)の二色に塗り分けられてきたが、その分断が招いた深刻な結果として、メキシコ湾沿いのテキサス、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、サウスカロライナの南部五州が自由南部国として分離独立を宣言。本国との間で戦争が始まっている。タイトルの"アメリカの戦争"は、第二次南北戦争と呼ばれるその内戦状態を指している。
 ある老人が来し方をふり返るプロローグに続いて、物語は開戦から間もないルイジアナ州の町で幕をあける。歴史ある大都会のニューオリンズも大きな水溜りと化すほどの海水の氾濫は、主人公の少女サラットの町に迫り、両親、双生児の妹ダナ、兄サイモンとともに、彼女は水際で暮らしている。南部五州に挟まれた彼らの州にも戦争の不穏な空気がたちこめ、両親は子どもを連れて北部に逃れる機会を窺っていた。
 しかしその矢先、一家は自爆テロで父親を失う。残された四人は、窮乏のために難民キャンプ行きを余儀なくされるが、元気なサラットはマーカスという少年と出会い、親友となる。一方、そこで出会った北部出身の元医師ゲインズを通じ、自分や南部の人々が置かれている状況について目を開かれていくが、やがて悲劇的な事件がキャンプを襲い、彼女の人生を暗転させてしまう。
 読者の前に繰り広げられていくのは、六十年後に待ち受けているかもしれないディストピアの風景だ。暗澹たる未来予想図は、古くはキングやマキャモンがホラー小説の題材とし、最近ではコーマック・マッカーシーが『ザ・ロード』の中で描いている。しかし、読者が本作に慄然とするのは、その世界の前提に既視感をおぼえるからだろう。
 資本主義の歪みが生む貧困や、化石燃料(石油・石炭・天然ガス)をめぐる争い、さらには横行するテロリズムといった危機的状況の数々は、現実の世界においても絵空事ではない。むろん、戦争の危機もである。主人公とその一家を取り巻くアメリカの混沌は、紛争の解決手段として海外への派兵と武力行使を繰り返してきた国が、今度は内戦という陥穽に落ちて、もがき苦しむ姿そのものといっていい。
 オマル・エル=アッカドは、カイロで生まれ、カタールで育ち、カナダやアメリカでジャーナリストとして活躍している。外側からこの国を眺めてきた作者らしく、"世界の警察"としてアメリカが行ってきた過去を冷徹に見つめ、憎しみが新たな憎しみを生む、終わることのない復讐の連鎖をペシミスティックな物語に紡いでみせる。
 サラットの数奇な運命をたどるナラティブのさりげないマジックも、本作をエンタテインメント文学として際立たせているものの一つだろう。「戦争は銃で戦うが、平和は"物語"で戦うものだ」という一節からは、作者が本作に取り組んだ動機と強い意志がいやというほど伝わってくる。

 (みつはし・あきら ミステリー評論家)

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