書評

2017年7月号掲載

古都で演じられるミステリアスな仮面劇

――岩下悠子『水底は京の朝』

千街晶之

対象書籍名:『水底は京の朝』
対象著者:岩下悠子
対象書籍ISBN:978-4-10-351041-3

 私はミステリドラマをわりと観ているほうなので、よくお目にかかる脚本家の名前は自然と覚えることになるが、岩下悠子の名前を初めて認識したのは、水谷豊主演の人気刑事ドラマ『相棒』シーズン三の「薔薇と口紅」というエピソードだった。女子学園をめぐる変死事件についてシェイクスピアの引用合戦が展開される、耽美的ムード溢れる異色エピソードだったと記憶している。それ以降、『科捜研の女』『刑事のまなざし』といったミステリドラマや、武富健治の漫画が原作の『鈴木先生』などで活躍している。
『水底は京の朝』は、その岩下悠子の小説家デビュー作であり、これまで手掛けてきた脚本の傾向から推察されるようにミステリ小説だ。小説に進出した女性脚本家といえば他に、同じく『相棒』で活躍していた太田愛の名が思い浮かぶが、太田が骨太な社会派ミステリ小説を得意としているのに対し、岩下は繊細な心理ミステリでデビューを果たした。
 舞台となるのは京都・太秦の撮影所。脚本家である著者にとっては知り尽くした場所だろう(著者が脚本を手掛けたドラマには、『おみやさん』『京都地検の女』『その男、副署長』のほか、メインライターを務めた美術ミステリ『フェイク 京都美術事件絵巻』など京都を舞台にしたものが多いし、『相棒』シーズン五の「殺人シネマ」のように映画監督や女優といった映像関係者が登場する話もある)。ただし本書では、主人公であるドラマ監督が女性、脚本家が男性と、著者自身とは性別が異なる設定になっている。
 美山は助監督から監督に昇進して半年も経たない駆け出しで、現在、女性開業医を主人公とする連続ドラマの監督を担当している。脚本はベテランの寒川と、美山と同い年の鷺森だ。最近、美山は精神的な乱調に悩まされている。仕事のプレッシャーだけが原因ではない。彼女には暗所恐怖症の傾向があり、鷺森はそれを見抜いているらしい。彼の言動は皮肉っぽく、何かにつけて美山の心を掻き乱す。第一話「熄(き)えた祭り」では、そんな鷺森が、一瞬で祭りが消えたという美山の子供時代の不思議な記憶についてひとつの仮説を語る。ただし、これ以降の話もそうであるように、本書の謎解きは確実な証拠に裏打ちされるタイプのものではなく、腑に落ちるかどうかは聴き手の心の持ちよう次第である。

 第二話「鬼面と厄神」は、ドラマの撮影に協力してくれている古美術店にある、「一口(いもあらい)」という銘のある鬼面の伝承が意味するものをめぐって登場人物たちが仮説を競う、一種の多重推理ミステリだ。また第三話「黒髪盗人」では、人間の髪で作られた鬘(かつら)が撮影所から何者かに盗まれる。第四話「水に棲む」の中心となるのは美山が拾ったペンダントだ。それを見た主演女優の岸華子は何故動揺したのか......。いずれも小さな謎に見えて、背後に秘められたものは奥深い。
 それらの謎が解かれる背景では、連続ドラマの撮影が最終回に向けて進行してゆく。監督・脚本家・女優......と、作中の主な登場人物たちは、みな虚構を生み出すことに長けた職業である。京都というミステリアスな背景の前で、彼らを役者とするもうひとつのドラマが演じられる。誰もが素顔を隠した仮面劇のように。
 ずっと美山の視点で描かれていた本書だが、最終話「スカーヴァティー」では全く別の視点から、今までの四話で描かれてきた出来事が裏側から辿り直されてゆく。美山の、そして鷺森の過去の記憶はどこまでが正しいのか?
 本書では心理学の用語がしばしば登場し、謎解きに援用される。例えば「黒髪盗人」では、小泉八雲の『耳なし芳一のはなし』で、どうして平家の怨霊が芳一に、自分たちにとっては辛い思い出である筈の「壇ノ浦の段」を語ってくれと頼んだのか......という疑問に、「克服のための遊び(ポスト・トラウマティック・プレイ)」による治癒という観点から説得力ある仮説が与えられる。先ほど、本書を心理ミステリと表現したのはそういう意味においてであるが、それだけにとどまらず、視点を変えることで読者に見えていた光景が一変し、登場人物の印象、そして彼らの言動の意味合いまで全く異なったものと化す本書の構成自体が、優れた心理的仕掛けと言えるのだ。深遠な人間の心の迷宮に踏み込んだ、極めて意欲的なミステリ連作短篇集である。

 (せんがい・あきゆき ミステリ評論家)

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