書評

2017年6月号掲載

ささやくようなその声の向こうに

――梨木香歩『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』

吉田伸子

対象書籍名:『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』
対象著者:梨木香歩
対象書籍ISBN:978-4-10-429911-9

 もう何度も書いていることなのだが、私と梨木さんの本との出会いは、『春になったら莓を摘みに』だった。もちろん、それ以前から梨木さんのお名前は存じあげていた。私の周りの本読みたちの間で度々その名があげられていたからだ。『西の魔女が死んだ』『裏庭』『からくりからくさ』『りかさん』......。けれど、その評価が高ければ高いほど、「じゃぁ、私はもう読まなくてもいいや」と思ってしまう癖が私にはあって、何というか、梨木香歩という作家は、敬して遠ざけるという存在だった。
 それがある日、書店の新刊コーナーの平台に並べられている『春になったら莓を摘みに』を見て、"呼ばれて"しまったのだ。この、"本に呼ばれる"という感覚は、本読みなら分かっていただけると思うのだが、何というか、その本にすうっと目が吸い寄せられてしまうことを言う。そういうのは、大概は自分にとって全く未知の書き手の方の本だったりするのだが、その時は違った。あ、梨木さんだ、しかも、エッセイだ。これはもう、素直に呼ばれよう。そう思ってレジに持って行った。そして、その本は、私にとって特別な一冊になった。
『春になったら莓を摘みに』を読み終えた時の、あの昂まりといったら! あぁ、これは、"私の作家"だ、と思った。きっと私は死ぬまでにこの本を何度も何度も繰り返し読むだろう、そして、読む都度、この本は私に大事なことを与えてくれるだろう、と。その予感は、初めて読んでから十五年の年月を経た今、確かなものとなっている。
 梨木さんの物語が素晴らしいのは、どれも「静かな声で語られている」ことだ。耳を澄まさなければ気付かない、けれど一度気付いたら、いつでもどこでも聞き分けられる。その素晴らしさに、胸が打ちふるえる。言葉の一つ、一つが、滋味深い食物のように、身体へ入ってくる。そしてそれらは、ゆっくりとゆっくりと読み手の血肉となっていくのだ。
 本書は、梨木さんの代表作の一つでもある『西の魔女が死んだ』と、その本篇に寄り添うような三つの短篇からなる作品集である。今回、何度目かで『西の魔女が死んだ』を読んだのだが、やはり素晴らしい。生きづらさを抱えた少女・まいが、「西の魔女」と呼んでいる祖母と過ごした日々。まいの不安定さは、思春期だからの一言では済まないものを含んでいて、でも、それもこれも全てを包み込むように、あるがままのまいを受け止めた、祖母。彼女がまいに向けて言う「アイ・ノウ」は、まるで読み手にも向けられているかのようで、だから私たちはこの物語を読むことで心が凪ぐ。じくじくと痛むお腹を、温かな手で撫でてもらった時のような安心感に満たされる。そして、自分も愛しい誰かに、「アイ・ノウ」と言おう、と思う。誰かを、静かに肯定しよう、と思う。そこが本当に素敵なところだ。
「ブラッキーの話」は、本篇にも登場する、まいのママが少女の頃に共に暮らしていた黒犬の物語。犬好きなら落涙必至! 「冬の午後」はまいが小六の冬休みに、祖母と過ごした時の物語。とあることで傷ついたまいに、祖母が授ける「こんなことは私の致命傷にはならない」という言葉は、まいにとってだけではなく、わたしたち読み手にも授けられたものだと思う。「かまどに小枝を」は、祖母の視点で描かれた物語。彼女のしなやかさ、母として、祖母としての愛の深さに、私たちは心の奥を優しく揺すぶられる。
 梨木さんによるあとがきが、また素晴らしい。『西の魔女が死んだ』を書き上げて四半世紀の後、再び(珠玉の短篇とともに)世に送りだすことを決めた心境が綴られているのだが、このあとがきを読むだけでも、作家・梨木香歩の背骨が見える。凜としたその背中が私たちに何を伝えようとしているのか。ささやくようなその声の向こうに、私たちはきっと進むべき道を見出すだろう。

 (よしだ・のぶこ 書評家)

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