書評

2017年4月号掲載

複数の時間にわたる声

――ポール・オースター『内面からの報告書』

滝口悠生

対象書籍名:『内面からの報告書』(新潮文庫『冬の日誌/内面からの報告書』)
対象著者:ポール・オースター著/柴田元幸訳
対象書籍ISBN:978-4-10-245120-5

 先行して刊行された前作『冬の日誌』と同様、自らの幼少期の記憶を掘り起こす回想記である。怪我やスポーツ、性欲など、身体的な感覚を手がかりに綴られた前作と対の関係にある本書が沈潜してゆくのは、内面の記憶だ。
「思い出せることを元に、子供のころの心の中を探索するとなれば、間違いなくもっと困難な作業だろう。ひょっとしたら不可能だろうか。それでも君は、やってみたい気持ちに駆られる。」
 自身のことを「君」と呼ぶのも前作と同じだ。一見不思議なこの語り方は、読めばごく自然なものとして受け入れられる。むしろ、子どもの頃の自分と現在の自分を地続きの同一人物と考える方が、不自然なことなのかもしれない。
「生きるということが新しいものへの絶えざる飛び込みだった」子ども時代の内面が、細やかに、丁寧に探られ、語られる。無知ゆえの不安定と大づかみな世界観のなか、自分でもそれと認識しない繊細さや厳密さがそこではたしかに働いている。時代や場所を越えて、読者も子どもの頃に自分を取り囲んでいた世界の感触を思い出す。たしかにあの頃、あらゆる事物に命があるように思えたし、世界は球体ではなく平らだった。
 そのような幼少期の世界が、印象的ないくつかのエピソードによって少しずつ変容していく。たとえば、六歳のある土曜日の朝に、突如彼を襲った恍惚感。六歳の今がいちばん素晴らしい、と感じたその瞬間を、五十九年経った現在も彼は鮮明に覚えている。おそらくその瞬間、彼はものを思う自分、つまり自意識を発見した。「その瞬間を境に、人は己の物語を自らに向かって語る力を獲得し、死ぬまで途切れなく続く物語を語り出すのだ」。つまり「君」はこの時に誕生し、以降ずっと彼の過去を支えてきた。彼が思考し存在したことを、ずっと証明し続けてきた。
 成長に従い、内面はそのように複雑に、多面的になっていく。一方で、ひとつに固まっていくものもある。ユダヤ人であるという自覚。移民二世の両親を持つ彼は、自分が単にアメリカ人であるだけでなく、ユダヤ人でもあると知る。まだ戦争が遠くない過去だった時代の空気、妻とふたりの娘をアウシュヴィッツで殺された親戚の存在、そして社会のなかで目にしたいくつかのケースが、まだ幼い彼に、絶対的な悪としてのナチスへの憎悪を根づかせる。そしてそれは、学校の先生が語る素晴らしいアメリカや、シナゴーグで学ぶ聖書のなかの神から、彼を遠ざけることにもなる。後に作家になった彼が、様々な形でそのことについて書き、語り続けていくことになるのは周知の通りだ。
 本書は四つの章で構成されている。子ども時代の内面を探る表題の章に続き、「脳天に二発」では、彼が十歳と十四歳の時に観て衝撃を受けた二本の映画(『縮みゆく人間』、『仮面の米国』)の全篇が詳細に語られる。続く「タイムカプセル」では、大学にいた十九歳から二十二歳までの時期、後に最初の妻となるリディア・デイヴィスに宛てたラブレターを抜粋しながら、葛藤と活気と混乱に満ちた若き日々が語られる。ベトナム戦争をはじめとした不穏な世界情勢のなかで、まとまりと落ち着きを欠いた手紙は、生々しい。そして最後に置かれた「アルバム」には、これまでの三章にちなんだ写真やイラストなどの図版資料が並ぶ。ミッドセンチュリーの古き良きアメリカ、行軍する兵士、故郷での動乱......。彼の人生とともに、様々な背反を抱えた「アメリカ」の姿もそこに見えてくる。
 変わった趣向と構成だが、「君」の記憶が元にあることは一貫している。自分のなかの他者である「君」を巡る語りは、過去の自分に語りかける声のようでもある。その声は、諦観と哀感を帯びつつも、明るく、優しい。
 そして不意に、現在から過去に向かっていたはずのその声が、過去から現在に、つまりかつての彼が未来の自分に向けて「報告」をしているようにも思えてくる。六歳の朝に彼が発見したのは、語られる過去の自分であるとともに、宛先たる未来の自分でもあるということ。思い出し、それを語るということは、過去の自分から思われ語られることでもある。そうやって複数の時間に遍在することで、私たちは同一性を保つことができ、過去の自分から大事なことを教えられたりもするのだ。

 (たきぐち・ゆうしょう 作家)

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