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書評・エッセイ

プーチンノセカイコウテイニナッタコウサクインプーチンの世界―「皇帝」になった工作員―

畔蒜泰助 監修/クリフォード・G・ガディ 著/千葉敏生 訳/濱野大道 訳/フィオナ・ヒル

3,520円(税込)

プーチンが真に求める「この先の世界」を理解した時、私たちは戦慄する!

一介のKGB職員から「皇帝」となった男が望むものとは? 今も謎に包まれるロシア大統領の“正体”を米研究機関の第一人者が6つの側面──「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー(工作員)」から徹底分析。計り知れない男プーチンを正しく恐れるための決定版。 ※単行本に掲載の写真の一部は、電子版には収録しておりません。

プーチンのロシアについて最良の教科書

――フィオナ・ヒル/クリフォード・G・ガディ『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』

佐藤優

 ソ連時代は、KGB(国家保安委員会)で対外インテリジェンスを担当する中堅職員(退役時の階級は中佐)だったプーチン。1996年にモスクワで大統領府に勤務するようになってから急速に出世の階段を上り、ロシア初代大統領のエリツィンにより後継者に指名された後、磐石な権力基盤を構築し、専制君主のような地位を得た。その過程を詳細に調べ、わかりやすく記述している。もっともプーチンの履歴については公開されていない部分が多い。ヒルとガディは、プーチンについて、「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー(工作員)」という、6つのペルソナ(個性)があるとの作業仮説に基づいて調査し、分析している。その結果、「プーチンの謎」をかなり解明することに成功している。これからは、この本がプーチンのロシアについて最良の教科書になる。
 人は誰も自分の経験に縛られる。プーチンの場合、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が開始したペレストロイカ(改革)による解放感を経験していないことが重要だ。この点について、プーチンの前妻リュドミラの証言が興味深い。ゴルバチョフが書記長になった1985年にプーチンは東ドイツのドレスデンに赴任した。〈ドレスデン駐在終盤の体験に幻滅したまま、プーチンは一九九〇年初めにソ連に帰国した。(中略)プーチンが街を離れていたあいだ、レニングラードでは色々なことが起きていた。その期間にプーチンは東ドイツで多くのことを学んだが、彼の知らないところで、ソ連に残った人々はいくつもの人生の教訓を吸収していた。(中略)彼女(リュドミラ)はインタビューのなかでこう語った。「ペレストロイカをはじめ一九八六年から八八年までのすべての出来事を、ドイツにいた私たちはテレビでしか見ていません。ですから、当時のソ連の人々の熱狂ぶりや高揚感については、人の話を通してしか知らないのです」/一九八〇年代末のソ連は、知的・文化的な破壊と創造の時代であり、政治的な激変の時代だった。帰国したプーチン夫妻が目の当たりにしたのは、断末魔の苦しみに喘ぐソ連であり、変革の高揚感など見る影もなかった。〉(146頁)。プーチンが多くのロシア人と一九八〇年代後半の知的、社会的空気を共有していない。そのことが、プーチンの世界観に無視できない影響を与えている。
 プーチンの行動様式は、外交においてもケース・オフィサーそのものだ。1対1で個人的人間関係を構築する技法にプーチンは長けている。しかし、それは相手を対等の友人として尊重しているからではない。ロシアの国益にとって操作可能にするためだ。その観点からすれば、私的利益を追求する腐敗政治家は、プーチンにとって利用価値の高い工作対象になる。前ウクライナ大統領のヤヌコーヴィチがその例だ。〈プーチンから見れば、ヤヌコーヴィチ大統領のあからさまな守銭奴ぶりは、大いに利用できる弱点であり、ロシア側に多大な影響力を与えるものだった。ヤヌコーヴィチは、一九七〇年代や八〇年代、プーチンやKGBの同僚たちがレニングラードやドレスデンでターゲットにした外国人そのものだった。その強欲さと罪が、国内外で名声を失うリスクを高め、買収されやすい状況へと彼を追い込むのだ。プーチンはまさにそこを突いた――ヤヌコーヴィチの側近たちに利害のある不透明なエネルギー取引を結び、ヤヌコーヴィチやその家族と密接な関連のある産業に高利益な発注を出すようロシア企業に促した。〉(430頁)。もっともヤヌコーヴィチが強欲すぎたため、国民の反発を買い、ロシアへ逃亡してしまった。その結果、ウクライナへの影響力を保全するためにプーチンはクリミア併合、ウクライナ東部のドネツク州、ルガンスク州をロシア系武装勢力の支配下に置くという冒険をせざるを得なくなった。その代償は大きく、ロシアと米国、EU(欧州連合)との関係は著しく悪化する。ケース・オフィサーの感覚で、外交を展開しても、成功するとは限らないのである。本書を通読してもプーチンの私生活がほとんどわからない。プーチンがプライバシーを厳重に秘匿しているという要素もある。しかし、それよりもプーチンにとって仕事がすべてで私生活の要素がほとんどないというのが実態と思う。評者が外交官時代に付き合ったSVR(ロシア対外諜報庁)やモサド(イスラエル諜報特務局)にも仕事がすべてという人がいた。プーチンにもあの世界のライフスタイルが染みついている。

 (さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)

フィオナ・ヒル、クリフォード・G・ガディ著/濱野大道、千葉敏生訳/畔蒜泰助監修『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』978-4-10-507011-3