書評

2016年4月号掲載

「格差」の無限運動を超えて

――広岡裕児『EU騒乱 テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)

沢木耕太郎

対象書籍名:『EU騒乱 テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)
対象著者:広岡裕児
対象書籍ISBN:978-4-10-603783-2

 著者の広岡裕児は、まず日本における世界地図とフランスにおける世界地図との差異から話を始める。
《日本で売られている世界地図では真ん中に太平洋が大きく広がり、日本と南北アメリカ大陸が向い合う。左には中国からユーラシア大陸が広がり、欧州はただの辺境にすぎない。だが、フランス製の地図をみると、太平洋が分断されて、左半分がアメリカ大陸、右側にユーラシア大陸が広がる。真ん中を占めるのが欧州とアフリカ大陸、そして中東である》
 そして、広岡はこう続けるのだ。
《現在、世界を揺るがす大きな問題のほとんどが、この真ん中に凝縮されている》
 ここから、広岡が永年暮らしているフランスを基点に、欧州で生起している「大きな問題」の考察に向かう。それはやがて、国民国家のあるべき未来型のひとつと目されていたEUの歴史と、危機をはらんだ現在の姿への考察へと向かっていく。
 私が最初に新鮮な驚きを覚えたのは、二〇一四年に行われたフランスの欧州議会選挙で、極右政党とされる国民戦線が第一党に躍り出たことに対する、広岡の解析だった。反EUを掲げる極右政党がなぜそのEUの欧州議会選挙で大勝したのか。それはフランス内部に巣くう「格差」が根本原因だったという。
 フランスでは、すでに一九九〇年代から、グローバリゼーションの進展により、周縁に追いやられて貧困から抜け出せない者が多く生み出されていた。その「下層」の人々に手を差し伸べた国民戦線は、「格差」を生むものとしてのグローバリゼーションと、その象徴としてのEUに牙をむくようになったというのだ。そして、その支持層と、フランス国民となった移民の子弟から成るテロリストの予備軍は、「格差」に押し潰されようとしているという点においてひとつだともいう。
 さらに広岡は、ギリシャの債務問題について、「素人ギリシャ政権の迷走」といった皮相な見方を排し、首相であるアレクシス・チプラスの、単なるトリックスターというのではない、したたかな政治家としての側面を描いていく。
 国民戦線の躍進とギリシャの債務問題。この二つは、ひとつはフランス国内における持てる者と持たざる者との「格差」の問題であり、もうひとつはEU内部の持てる国と持たざる国の「格差」の問題でもある。
 私が広岡のこの本を読むことでひとつの理解に達したのは次のようなことである。
 ――水が高いところから低いところへと流れるのとは逆に、人は低いところから高いところへと向かおうとする。貧しいところから豊かなところへ。危険なところから安全なところへ。周縁からメトロポールへ。それは一国内だけでなく、国際的にも同じであり、人は「低い国」から「高い国」を目指そうとする。この動きは誰も押し止めることはできない。すべてをローラーで平準化しようとするかのようなグローバリゼーションが後押しするからだ。ところが、その「格差」の平準化を目指す動きが、さらに新たな「格差」を生むことになる。この「格差」をめぐる無限運動こそが、世界を覆う最大の問題でありつづける。そしてEUもまた、この「格差」の無限運動に巻き込まれ、立ちすくんでいる。内に反EUのうねりとテロリストの予備軍を抱え、外からは難民が押し寄せることで......。
 では、《狭いナショナリズムを超克するものとして想定された、国と国、人と人との連帯と信頼に基づいた共同体》を目指したEUの理想は打ち砕かれたのか。
 ギリシャの首相チプラスは、「ドイツ賠償問題委員会」の再開に際して行った演説の中で、こう語ったという。
《諸国民の間にある連帯・友情・協力・対話が支配の下心と歴史的必然の信念に席を譲ってしまったとき、尊重が不寛容と人種差別に席を譲ってしまったとき、戦争と闇とが黒い旗を立てる、(中略)欧州はこの暗黒を味わった。欧州はそれを克服し、嫌悪した。まさにそれゆえに、絶対に再び戦争のサイレンが鳴ることのないように一九五七年に欧州建設のプロセスを始めたのである》
 広岡は、この言葉を最後近くに配することで、いまや過去のものとなりつつあるかに見える「欧州共同体という希望」への祈りのような思いと、さらには日本のあるべき姿を念頭に置きつつこう述べている。
《だが、いまならまだやりなおせる》
 と。

 (さわき・こうたろう 作家)

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