インタビュー

2016年4月号掲載

『暗幕のゲルニカ』刊行記念特集 インタビュー

「暗幕のゲルニカ事件」が伝えたもの

原田マハ

対象書籍名:『暗幕のゲルニカ』
対象著者:原田マハ
対象書籍ISBN:978-4-10-125962-8

「どうにかしてピカソに挑んでみたい」。そう思ったのは二〇歳のときでした。私は当時関西の大学に通っていました。ちょうどそのころ京都市美術館で大規模なピカソ展があったんです。忘れもしない、一九八三年七月一四日。自分の誕生日にピカソを見て強く衝撃を受け、それが小説『暗幕のゲルニカ』に結実したときにはすでに三〇年以上の時間が流れていました。

 二〇世紀絵画の巨匠、ピカソ。多くの作品の中でも〈ゲルニカ〉は特別な絵です。一九三七年にドイツ軍がスペインの街ゲルニカに行った無差別空爆をモチーフに、パリ万国博覧会のパビリオンの壁画として描かれた巨大な油彩画です。

『暗幕のゲルニカ』を書く直接のきっかけも、やはり実際に起こった出来事でした。〈ゲルニカ〉には、油彩と同じモチーフ、同じ大きさのタペストリーが世界に3点だけ存在します。ピカソ本人が指示して作らせたもので、このうち1点はもともとニューヨークの国連本部の会見場に飾られていました(ちなみに1点はフランスの美術館に、もう1点は高崎の群馬県立近代美術館に入っています)。しかし事件は二〇〇三年二月に起こります。イラク空爆前夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたのです。私はそれを、テレビのニュースで知りました。

 同じ年の六月、スイスのバーゼルで行われた印象派の展覧会を訪れたところ、会場のロビーにそのタペストリーが飾られていたのです! 横には、暗幕の前でパウエル国務長官が演説をしている写真と、展覧会の主催者にして大コレクター、エルンスト・バイエラー氏のメッセージがありました。「誰が〈ゲルニカ〉に暗幕をかけたかはわからない。しかし彼らはピカソのメッセージそのものを覆い隠そうとした。私たちはこの事件を忘れない」と。そしてタペストリーは所有者の意向により、国連本部から他の美術館に移されました。

 結局、誰が暗幕をかけたのかは未だにわかりません。アメリカがイラクに軍を向ける、その演説にそぐわないと考えた何者かでしょう。けれど、その何者かは〈ゲルニカ〉に暗幕をかけることで、作品の持つ強いメッセージを図らずも世界中に伝えることになったのです。

 名画と呼ばれる作品は世界に多くありますが、〈ゲルニカ〉ほどメッセージ性が強くインパクトのある絵画を私は知りません。この作品を実際にマドリッドで見たことがありますが、六〇年以上前のことがなんら色あせず、カンヴァスの中にありました。空爆がまさに今起こったかのような生々しさでした。恐怖を描いて、平和を訴える。絵画なんだけど、ドキュメンタリー。忘れたい、でも忘れてはいけない出来事。〈ゲルニカ〉はそれらの矛盾をすべて内包している――抽象化することで逆にリアリズムを感じさせる傑作だと思います。

 ピカソは決して反戦主義者、平和主義者ではありませんでした。けれども〈ゲルニカ〉は、アートが強いメッセージを持ち、政治や国を動かすこともありうると信じさせてくれる作品です。現代では政治的なモチーフを取り扱う作家はたくさんいますが、彼らはみんなゲルニカの子どもたちだと私は思っています。

 実際は、美術が戦争を直接止められることはないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど「止められるかもしれない」と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことができる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求しています。

 (はらだ・まは 作家)

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