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書評・エッセイ

食べることの輪が生み出す孤独

――遠藤彩見『キッチン・ブルー』

倉本さおり

 鮮やかな炎を上げる牛肉のフランベ。各種点心が蒸し器の中で柔らかな湯気をまとい、ロブスターやアワビはグリルの上で香ばしい煙をくゆらす。色とりどりのカナッペや寿司、カルパッチョの花畑があれば、対岸にはプティフールやゼリー、プリンの群れ?――ああ、想像するだけで勝手に唾液があふれ出てくる!
 口福、とはよくいったものだ。美味しいものを囲む描写は、そのまま「満ち足りた」情景として心に刻まれてしまっている。できたての料理、みんなの笑顔、しあわせの匂い、めでたしめでたし。
 けれど、円から締め出されてしまった場所にもまた、物語は存在する。この絶妙にビターな味わいを残す作品集が丁寧にすくいあげるのは、むしろ食べることが生み出す「孤独」や「ひもじさ」のほうなのだ。
「食えない女」のヒロイン・灯は、どうしても人前でものが食べられない。病院でもらった名前は会食不全症候群。冒頭に挙げたような、いかにも豪華な皿がずらりと並んだパーティーに顔を出したところで、ひたすら空腹の苦痛に晒されるだけ。ひとりそそくさと帰宅したあと、冷凍の温野菜ミックスをレンチンして、ただドレッシングをぶっかけたものを一気にかき込むという、なんともわびしすぎる食事を強いられる羽目になる。さらにやりきれないのは、そのわびしさを誰とも共有できないことだ。
〈食は最大の共通項〉。だからこそ、その輪から外れてしまった者は、周囲の理解を得られないまま、ひっそりと孤立を深めていく。「さじかげん」の沙代は料理に対して極度のコンプレックスを抱いているせいで夫婦の食卓から疎外され、「味気ない人生」の希穂は階下の騒音のストレスが原因で味覚障害に陥り、それなりに順調だった生活に軋みが生じ始める。食べることは生きること――耳慣れたフレーズだが、彼女たちにいわせれば、それは「戦う」というニュアンスに近い。
 たとえば、沙代は夫との会話を取り戻すため、0・1ccの小さじ(!)まで揃えて苦手な料理と格闘している。味覚を失った希穂は、残された食感に集中することで、なんとか日々の暮らしを立て直そうともがいている。惚れた男と過ごす時間を守るため、灯がこっそりトイレに籠もってチョコレートバーをせっせとかじる姿には、読み返すたびにしみじみと泣かされてしまった。傍目にはさぞや滑稽に映ることだろう。それでもここにいる人びとは、みな懸命に、勇敢に戦っているのだ――〈自分の食卓を調える〉ために。
 最後に据えられた作品・「ままごと」はじつに象徴的だ。売れない役者を続けながら深夜のバーのアルバイトで糊口をしのいでいる健人は、常連の訳アリ女性客から奇妙な提案を受ける。舞台のチケットを買い取ってやる代わりに、自分の料理を食べてくれないか――腹も懐も常にさびしい健人はその誘いに乗っかることにする。
 ハッシュドビーフにポテトサラダ、秋野菜とイカのフリット。あるいは、ポークチョップとエビグラタン、ローストビーフにトマトのマリネ。濃厚で肉汁たっぷり、若い健人にとってはどれもたまらないメニューだ。ところが女の料理がエスカレートしていくほど、彼は食欲を失っていく。なぜなら、一番おいしいところをいただくのは、彼ではなくカメラだから。ブログに載せるため、自分がつくった料理の撮影に夢中になっている女は、皿からすっかり湯気が引き、チーズが冷えて固まっていることにも頓着しない。
 期待されていたはずの人生から外れてしまった女の孤独。贅を尽くした料理の数々は、彼女にとって唯一のアイデンティティでもある。けれど、そこであつらえられるテーブルは、健人の考える食卓の姿とは異なっている。
〈ままごとは、ただのままごとだ。その場限りの楽しみでしかない。食卓は違う。気持ちをやり取りして得るものは、未来へと続く糧なのだ〉
 彼がたどり着いた〈本当の食卓〉――その、すこしそっけない味といっしょに読者が噛み締めるのは、こうして誰かと言葉を分け合えることの、途方もないあたたかさなのだろう。

 (くらもと・さおり 書評家)

遠藤彩見『キッチン・ブルー』978-4-10-339681-9