書評

2015年11月号掲載

戦後日本の不幸な資本主義

佐伯啓思『さらば、資本主義』

佐伯啓思

対象書籍名:『さらば、資本主義』
対象著者:佐伯啓思
対象書籍ISBN:978-4-10-610641-5

『さらば、資本主義』という新書である。といっても別に社会主義の復権を説いた本ではないし、マルクス主義を見直そうというわけでもない。今日の経済中心主義、成長主義、そして即効性ある成果主義といった風潮を論じている。
「資本主義」とは、字の如く「資本」を中心に物事を動かしてゆく「主義」、つまり「やりかた」である。そして「資本」とは「頭金」だ。だから、資本主義とは、「カネ」を動かすことでさらに「カネ」を増やす運動である。こういう運動が社会の中心に居座り、われわれの心理が、あたかも電灯に吸い寄せられる虫のごとく、この運動にひき寄せられてゆく。ひとたびこういう社会に落ち込んでしまうと、電灯の周りをグルグルまわる虫のように、容易にそこから抜け出すことができなくなる。
 別に日本だけのことではなく、グローバル資本主義という言葉が示すように、世界中が、この「カネ」が「カネ」を生む「やりかた」にとりつかれている。しかも、それを「主義」にしてしまった。それこそが、人々にいっそう大きな富と幸福をもたらすはずだ、という信念ができた。
 特に日本の場合、戦後の価値は、民主主義や平和主義のもとでの経済成長の達成であった。平和主義の方は、日米安保体制によってアメリカが保障を与えてくれたので、中心になるのは、民主主義と経済成長主義であった。社会の真ん中より左に位置する人たちが民主主義を唱え、右に位置する人たちが経済成長を唱え、両者があい携えて戦後日本の「繁栄」をうみだしてきたわけである。
 しかし、この二十年、冷戦が終わった1990年代あたりから、話はそう簡単ではなくなっている。成長率はほぼゼロにちかい状態が続き、民主的な政治はますます混迷の度を深めてゆく。戦後の「繁栄」の仕組みはうまくいかない。
 そこで、アメリカ発のIT革命や金融工学を持込み、ますます「カネ」が「カネ」を生み出す仕組みを巨大化させた。「カネ」をまわすことで経済を活性化し、競争をかきたてて富をうみだそうというのである。まさに「資本主義」である。
 しかし、このやりかたが、今日、われわれを幸福にするかといえば、そうではない。物的な富という意味では、相当に豊かな段階に達した日本のような国では、「カネ」をバラ撒いても、金融市場のなかをグルグルと回るだけで、消費には結びつかない。競争とイノベーションも、ただ、われわれの生活をさらに多忙にし、潤いを奪ってゆく。そして民主主義が人々の不満を政治に向けることで政治がますます不安定になる。
 どうやら戦後日本人を支えてきた民主主義と経済成長が、逆に、われわれを窮屈な社会においやっているようにみえる。だとすれば、民主主義と経済成長という戦後日本の価値をわれわれは見直す必要に迫られるだろう。低成長社会を受け入れ、政治を安定させるという課題へ向けた価値の転換が求められるのであって、本書がその一助になれば、と思う。

 (さえき・けいし 京都大学名誉教授)

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