書評

2015年10月号掲載

凄ワザ推理サスペンスの集大成

――『最後の花束 乃南アサ短編傑作選』(新潮文庫)

香山二三郎

対象書籍名:『最後の花束 乃南アサ短編傑作選』(新潮文庫)
対象著者:乃南アサ
対象書籍ISBN:978-4-10-142554-2

 ミステリー小説の紹介を始めて三十数年、作家になるにはどうしたらいいのですか、と聞かれたことは何故かまだないけど、もしそう尋ねられたらこう答えるだろう――取りあえず、作品を仕上げて新人賞に応募してみたら。
 実際ミステリー系の長篇だけでも一〇を下らぬ新人賞が存在する。何故こんなに新人賞が多いのかといえば、業界は常に力のある新人を求めているということなのだろう。
 そうはいっても経費はかかる。筆者の記憶では、スポンサーもまだ気前のよかったバブルの時代に新人賞が一気に増えた感があり、かくいう筆者もその恩恵を受けて予備選考――下読みの仕事をいただくことになったりしたわけだ。
 その初体験は一九八八年から七回続いた日本推理サスペンス大賞で、記念すべき第一回の大賞受賞者は残念ながら出なかったけど、優秀作をゲットしてプロデビューしたのが乃南アサだった(作品は『幸福な朝食』)。
 実は下読みで最初に『幸福な朝食』をチェックして候補のひとつに残したのは筆者であったが、こちらもまだ新米、これが授賞に値するのかどうか、はっきりいってよくわからなかった。内容は、女優に挫折して人形使いになったヒロインをめぐるサイコ系のサスペンスで、のちの乃南作品を髣髴させるような作風。
 もっともこれは、乃南さんにとっても初めて書く小説で、「推理サスペンス」という意味もよくわかっていなくて、取りあえず松本清張を片っ端から読んで勉強したうえで執筆に臨んだらしい。随所に粗っぽさを指摘されても、才能を評価されたのだから、やっぱり只者ではなかったということで、それはその後の軌跡を見ても一目瞭然だろう。
 デビュー当時、推理サスペンスの意味もよくわかっていなかったという新人が、推理サスペンスを中心に作品を重ねていくにつれてワザに磨きがかかり、ついには『凍える牙』で直木賞を取るまでに至る。まさに小説家の典型的なサクセスストーリーというべきか。
 もちろんその間、苦労がなかったわけではないだろう。アイデアがなかなか浮かばなかったり、筆が進まず胃を痛めたこともあったに違いない。デビューしてすでに四半世紀以上がたつが、そうした山あり谷ありの軌跡をうかがわせるのが本書から始まる『乃南アサ短編傑作選』である。
 ただ時々の傑作を集めたというだけでなく、テーマ別の選集になっており、第一弾の今回は“若い女性の狂気”。デビュー作『幸福な朝食』直系の推理サスペンスものを中心に編まれているといったらおわかりいただけようか。
 それでもピンとこなければ、取りあえず冒頭の「くらわんか」をお試しあれ。舞台は大阪で、元キャバ嬢の季莉が東京の店にいたときの上客、ぷぅさんこと風間と再会するところから始まる。季莉はミュージシャンの卵である男を追いかけて大阪にきたというが、関係は程なく破局。かつてセフレだったぷぅさんとの仲が復活する。焼けぼっくいに火が付くというやつで、ぷぅさんが妻帯者であっても、ふたりの関係は順調に運ぶかに見えたが……。
 出だしの料理屋のシーンからグルメ小説の趣もあって、展開も不倫テーマの恋愛小説ふう――そう思わせておいて、あっと驚く結末が待ち受けている。そう、一見どこにでもありそうな日常の描写が突如反転するのが本書の特徴なのだ。
 その反転の切れ味が推理サスペンスの生命線、続く「祝辞」からどんな趣向が凝らされているか、どうかご自分の目でお確かめいただきたい。いや、だからといって、全部が全部、怖い結末が待っているというわけではありません。中には、そうかそんな手でくるのかと思わずニヤリとしてしまうものも混ざっている。著者はあの手この手で読者を翻弄しにかかってくることを、ゆめゆめお忘れなきように。
 ちなみに、この『短編傑作選』、今後もテーマ別に巻を重ねていく予定とのこと。続編もどうぞお楽しみに。

 (かやま・ふみろう コラムニスト)

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