インタビュー

2015年10月号掲載

『影の中の影』刊行記念インタビュー

ヒーローの物語は、てらいなく直球勝負で

聞き手・霜月蒼(ミステリ書評家)

月村了衛

『土漠の花』で日本推理作家協会賞を受賞し、新世代ハードボイルドの旗手として、いま最も注目される月村さん。冒険小説をこよなく愛し、同年の日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞者でもある霜月氏が、今作に登場する新ヒーローについてお話を聞きました。

対象書籍名:『影の中の影』
対象著者:月村了衛
対象書籍ISBN:978-4-10-121271-5

――『影の中の影』、たいへん興奮しながら一気に読みました。ひとことで言うなら、とにかく「カッコいい」アクション・スリラーだと思います。

 ありがとうございます。今回は「新しいヒーローをつくりだす」というところから構想をはじめて、ではどういうヒーローがありうるかを考えていきました。

――この作品はまず、ジャーナリストの仁科曜子の物語としてはじまります。ウイグル人コミュニティの長老に取材することになった彼女の目の前で、問題のウイグル人が謎の集団に襲撃され、彼女に「カーガーに連絡を」と告げて死んでしまう、というゾクゾクするような幕開けです。「何かよくわからないけど、とにかく凄いことが起こるらしい!」という、先の見えないサスペンスがあります。

『土漠の花』で、主人公たちがA地点からB地点まで移動するだけというシンプルな冒険小説を意図的にやりました。今回は「新たなヒーローを書く」というのが最初にあったんです。

――それが主人公の景村瞬一ですね。彼が登場する瞬間には、正統的なヒーロー物語の快感がありました。「待ってました!」というような。新たな月村流ヒーローたる景村は、どんなふうに生まれたのでしょう。

 ヒーロー像を考えているうちに頭に浮かんだのがトレヴェニアンの『シブミ』(ハヤカワ文庫)の主人公、ニコライ・ヘルでした。日本で育って、囲碁の真髄である「渋み」を会得した殺し屋です。一種、禅の域に達しているようなところがあるので、クールで何があっても動じない、というキャラクターでした。

――景村はロシアの格闘技「システマ」を叩き込まれているという設定ですが、これがニコライ・ヘルにとっての「囲碁」に相当するのでしょうか。

 書くうちに発想した設定だったんですが、うまくはまっていったんですね。システマの四大原則は「姿勢」「呼吸」「動き続ける」「リラックス」なのですが、これが不思議なくらい物語とテーマに結びついてきたんですよ。

――冒険小説やアクション小説のキモは、戦う人物たちの心理描写にあります。恐怖や怒りといった心理や感覚をちゃんと押さえないと、読者を興奮させることはできません。そのあたりが、システマにおける「呼吸」や「リラックス」を通じて見事に描かれていると思うんです。

 この小説を書くうえで、最初から大きな課題がありました。さっきおっしゃったように主人公のひとりが女性である仁科曜子だということです。戦うのは景村ですが、そのおかげで彼女のドラマが薄くなってしまってはまずいという危機感がありました。そこで、彼女にいろいろなものを背負わせて、戦いを重ねることで立ち直ってゆく、自分の視野が狭かったことに気づいて成長する、それを描くことが必要だと思っていました。

――かつてパキスタン人の親子を死に追いやってしまった過去があることが徐々に明かされていくところですね。

 ちゃんと書けるかどうか一〇〇%の自信があったわけではありませんが、本気で書いていれば一二〇%の力が出るものなんですよ。その二〇%のところで、システマと仁科のドラマが結びついた。ただ単に「ヒロインがヒーローに救い出されておしまい」では意味がない、ということは一読者としてわかりますから、あの結末を書くことができて当初想定していたハードルはクリアできたと思いました。

――ただのジャーナリストである仁科曜子と、謎めいたヒーローである景村の二人が中国政府に命を狙われるウイグル人たちを、一晩、暗殺部隊から守り抜くことになります。この戦いにひょんなことから巻き込まれる男たちも印象的です。

 わたしが一番書きやすく、感情移入しやすいのは、善と悪の境目でいえば、どちらかというと悪の側の人間なんだけど何かの間違いで善の側にいる――そういう人なんです。《機龍警察》シリーズの人物はみんなそうですね。あるいは、よんどころない理由によって一時的に善の側にいる、という人――こういうヒーローを書いていると、どんどん面白くなってきて手ごたえを感じるんです。景村と仁科とともにウイグル人たちを守る彼らも、そういう男たちです。

――彼らそれぞれに戦う理由がある。妻子に逃げられた男はウイグル人の母娘を守ることになったり……。このあたりは冒険小説の楽しさのツボを完璧に突いていると思います。

 そのツボを効果的に伝えるにはどうすればいいかということは常に考えていますし、あの一連の場面は泣きながら書いていました。これを読んだ方が、彼らの最期のシーンで思わず声を上げてくれると嬉しいですね。

――アクション小説というのは空間把握が大切なんですが、『影の中の影』では、まずこの建物には部屋がいくつあり、階段がどこにあり、という説明があって、こういう空間だからこういうことができるんだよ、ということをしっかりと読者に染みこませています。その上で最後の大バトルの幕が切って落とされるので、戦いの様相が明晰にわかるんですね。

 どうすればサスペンスが出るかというのはいつも意識しています。書いたあとでも、やっぱりここはもっと緊迫感をもたせられるんじゃないかと思うと書き直しますし。戦いと戦いの間をどれぐらい空けたほうがいいか、詰めたほうがいいかは、行単位で検討します。間延びしても詰めすぎても効果が出ないですしね。

――実際、ここまで熾烈なアクション小説は近年まれに見る気がします。

 さきほど挙げた『シブミ』と、もうひとつ念頭にあった小説があります。マーク・グリーニーの《暗殺者グレイマン》シリーズ(ハヤカワ文庫)です。凄腕の暗殺者である主人公が、世界のあちこちを動きながら、とんでもない銃撃戦をやる。作家としてはためらいがあるわけですよ、そこまでやっちゃっていいのかと。でも《グレイマン》シリーズでは、警察署全滅みたいな激しい銃撃戦をばんばんやっている。でも読者として読むと、意外に気にならないんですね。ためらいなくそれを書ける勇気というんでしょうか。躊躇していると先に行けない、やってしまっていいんだ、という確信を持ったんですね。それでこの作品を書いたわけです。あの舞台設定も検討を重ねて、わたしは建築物が好きなもので、今までいろんな舞台での戦いを書いてきて、じゃあ今回は「高低差がある場所」にしようということで、あんな場所で大銃撃戦が展開することになりました。

――とはいえ、現在に通用する作品にするためには、戦いの背景をちゃんと作りこまないと説得力が生まれない。この小説ではウイグル自治区での中国の圧政の問題が描かれています。僕自身、冒険小説を長年読んできて、アイルランドにおけるカソリックとプロテスタントの抗争や、冷戦時代の世界情勢といった近現代史を小説を通じて学んできたところがあります。もちろん小説の筋から言うとサブの部分なのですが、こういう余録も小説の楽しみのひとつだと思っています。

 そういうもののために費やした投資は、もう、何十年もかけてやってきたし、資料も集めてきました。9・11以降、世界情勢の変化の度合いが半端じゃないので、一瞬にして使えなくなってしまった資料も膨大にあるんですが。

――冷戦終了後、強大な「敵」が見えなくなってしまって冒険小説が書きにくくなった、というのが定説になっています。ですが月村さんの作品を読むと、それは間違いだったんじゃないかと思わされるんです。《機龍警察》シリーズ、『土漠の花』、そして『影の中の影』。どれも説得力のある戦いの物語になっていますから。

 ソ連が崩壊、ベルリンの壁が崩壊した直後は、そういうことは確かに言われていました。でも実際はそうではなかったと思っています。むしろ冒険小説およびエンターテインメント小説にとっては、これからが本番だと言えるのではないでしょうか。敵が見えにくくなった中で、どう戦っていくか。書く方としてはハードルが上がったわけですけれど、それだけにやりがいがあって、新しいエンターテインメントが可能になったと思いますね。善は善、悪は悪だと一概には言えない。例えば、タリバンはテロリストですけれど、彼らがどうして生まれてきたかを考えると、それは現代史と密接に結びついてくるんです。エンターテインメントは日々刻々とハードルが上がっていて、それと切り結ぶために超えていかなければいけない。

――あくまでエンタテインメントを書く、という強い意志があるということですね。

 はい。こういう「アクションもの」は好きじゃない、と思っていた読者が、つい読みはじめて気がつけば朝になっていた、みたいなことがあれば、書いた者としてとても嬉しいですね。

――「冒険小説」という日本語は、英語だと「スリラー」に相当します。「読者にスリルを与えるもの」ということですね。つまり「ぞくぞくさせるもの」、「武者震い」みたいな感覚を与える小説ということです。『影の中の影』の後半のアクションを、泣きながら書いていたとおっしゃっていましたが、そういう強い感情的興奮をもたらす物語が冒険小説であり、ヒーローの物語ではないかと僕は思っています。

 現代は冒険小説やヒーローの物語が書きにくくなったと言われますが、ヒーローものって宿命的に「直球」なんです。そして直球であればあるほど感動が大きい。そういう力学があるんです。わたしの場合、その力学構造が体の中に入っている。理論的に理解しているということもあるし、書いていて体が勝手に動くというのもあります。ヒーローものであろうがなかろうが、ストレートにテーマを投げる小説が少なくなったと言われていますが、わたしは何のてらいもなく直球を投げられるんですね。

――だからこそ、読んでいると物語に引きずり込まれる。

 エンターテインメントであろうと純文学であろうと、優れた作品は、読んでいて場面が目に浮かぶものです。わたしは特別なことをしているつもりはありませんが、読んで下さった方の反応を見ますと、ある程度、それに成功しているようです。今回の『影の中の影』も、そんなノンストップの臨場感をぜひ体験していただければと思っています。

 (つきむら・りょうえ 作家)

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