書評

2015年9月号掲載

え!? ほんとにそんなことが!

――内村薫風『MとΣ』

大森望

対象書籍名:『MとΣ』
対象著者:内村薫風
対象書籍ISBN:978-4-10-339461-7

 又吉フィーバーに席巻された第153回芥川賞ですが、候補作六作のうち、いちばん親近感を持ったのが、このほど単行本化された内村薫風「ΜとΣ」(新潮二〇一五年三月号初出)。“話のタネ”になる度合いで言えば、まちがいなくこれがナンバーワンでしょう。読むとだれかに話したくなる小説。なにしろ、マンデラに、タイソンに、ドラクエⅣですからね。一緒に並ぶことがまずない、交わることもなさそうなこの三者の軌跡が、一瞬だけ交差する。その魔術的なポイントが一九九〇年二月十一日という日付。え!? ほんとにそんなことが! なにこれどうなってんの?
 タネを明かすと、アパルトヘイトに反対して逮捕され二十七年の長きにわたり収監されていたネルソン・マンデラが釈放されたのと、37戦して37勝33KOだった人類最強の男マイク・タイソンが東京ドームの試合でジェームス・ダグラスにKO負けを喫したのと、国民的な人気を誇るRPGソフト『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』が発売されたのが、(事実として)すべて同じ日だったのである。
 だからなに? と思う人もいるでしょうが、内村薫風は、この歴史的な事実を俎上に載せ、手品師のような(または詐欺師のような)手ぎわで偶然を必然に変えてみせる。
 そのために登場する人物が、馬喰横山のブラック企業に勤める内村。小学生のとき、行列してドラクエⅣを買った彼は、中学生に囲まれ、ソフトを奪われかけた経験がある。だが、中のひとりがなぜか仲間を殴り倒したおかげで事なきを得る。まるでメダパニ(敵を混乱させ、仲間や自分自身を攻撃させるドラクエの魔法)にかかったような、奇妙な出来事。マンデラ釈放直前の刑務所では、通用口の前にいた制服姿の二人組のひとりが、もう片方のあごを下から殴る。そして東京ドームでは、タイソンが渾身のアッパーカットを放つ。
 突き上げるようなパンチが三つの出来事を美しく貫く趣向。時代を超えた六つの物語をシンクロさせるデイヴィッド・ミッチェル原作の映画『クラウド アトラス』や、売れないパンクバンドの曲が時空を超えて連鎖し奇跡を起こす伊坂幸太郎の短編「フィッシュストーリー」をなんとなく連想するが、本編では、意識に行動が先行することを示したリベットの実験や、量子エンタングルメントに関する議論で、理屈を(ある程度)補強する。しかし、そういうSF的なロジック以上に印象的なのが、細部の“あるある”感。
 たとえば、内村が二十年ぶりに押入れの段ボールから発掘して(『Ⅳ』が見つからなかったので)『ドラクエⅤ』をプレイする場面。セーブデータ(1:くんぷう Lv10)を選んでゲームを再開すると、神父が「よくぞもどられた! くんぷうどの」と声をかけてくる。〈内村は胸が締め付けられる。/よくぞ戻られた!/帰省先の親でさえ、面倒臭そうな目を向けてくれるだけだと言うのに、自分を待ってくれた人がいたのか、という感激と、二十年もの間、待たせたままであったという罪の意識で息苦しくなった。〉
 こういうゲーム的な描写が、「MとΣ」をたんなる三題噺ではない、魅惑的な小説にしている。三者それぞれが“導かれし者たち”であることがわかってくる構成や、『ドラクエⅣ』から登場した「さくせん」コマンド(みんながんばれ、ガンガンいこうぜ、いろいろやろうぜ……)の絶妙な使い方など、往年のドラクエファンなら感涙にむせぶはず。謎めいたタイトルの意味も含め、ここに書いた以外にもいろんなネタが仕込まれているので、ぜひ試してほしい。
 著者の経歴は、一九六九年生まれということ以外明かされていない。本書には、デビュー作にあたる不条理侵略小説「パレード」(新潮一四年三月号)と、第二作「2とZ」(新潮一四年四月号)が併録されている。「2とZ」は、「MとΣ」と同様、興味深い史実の断片――第二次大戦中に英国情報部が実行した「ミンスミート作戦」と、東ドイツ市民が大挙して国境を越えて西側への亡命を果たした「ピクニック事件」――と、現代日本の出来事とを、やはり手品のように接続してみせる。題名と同じく“見かけは似ていても実はぜんぜん違うもの”が共通項。小説めいた史実を切りとってくるセンスは、『盤上の夜』や『ヨハネスブルグの天使たち』の宮内悠介とも近いが、時に脱力を誘う、どことなくとぼけた味わいがクセになる。

 (おおもり・のぞみ 書評家)

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