書評

2015年4月号掲載

長い小説を読む大きな喜び

――加賀乙彦『永遠の都』〈全七冊セット〉

沼野充義

対象書籍名:『永遠の都』〈全七冊セット〉
対象著者:加賀乙彦
対象書籍ISBN:978-4-10-106707-0/978-4-10-106708-7/978-4-10-106709-4/978-4-10-106710-0/978-4-10-106712-4/978-4-10-106712-4/978-4-10-106713-1

 この度新たに全七冊セットとして再刊されることになった『永遠の都』は、とても長い小説である。おそらく著者が心中密かにライバルと見なしていたであろうトルストイの『戦争と平和』と、ほぼ匹敵する規模のものだ。内容を見ても、昭和一〇年から二二年までの日本を舞台に、軍国主義へと急速に傾斜していく歴史の流れを一方におき、その中で時代に翻弄されながらも医学研究や発明や恋愛や芸術に携わって生の喜びを享受して生きていく人々の〈平和〉な暮らしがもう一方にあって、その両者が渾然と絡み合いながら進んで行くのだから、これはまさに加賀版『戦争と平和』に他ならない。
 本書で扱われる歴史的な出来事の主なものを書き出してみれば、二・二六事件、ベルリン・オリンピック、紀元二六〇〇年記念式典、太平洋戦争の開始、疎開、東京大空襲、敗戦といった具合で、この小説が激動の歴史を扱った――しかも、膨大な史料の調査に基づいた――歴史小説になっていることは言うまでもない。しかも、そこに至る前史として、中心的人物である医師の時田利平の若き日の日記を通して日露戦争の時代の回顧も挿入され、時間的スパンはさらに広がる。これは確かに、小説という「容れ物」にとって最大限の巨大なキャンバスと言うべきだろう。時田利平の孫にあたる小暮悠太の言葉を借りれば、その中では個人の回想など「時代または人生のほんの小さな断面に過ぎない」。
 しかし、それでも本書を生き生きとした小説にしているのは、歴史の中で精彩を放ち、強烈な生の輝きを――単に善だけでなく、悪や闇の部分もどこかに秘めながら――読者の目に焼き付かせる個性的な登場人物の数々である。元海軍軍医で、三田に時田病院を作った時田利平、生命保険会社に勤める木暮悠次(先祖は金沢藩士)、実業家として羽振りのいい風間振一郎、そして政治家の脇礼助の四名がそれぞれ中心になる四家族とその周辺の人々は、互いにどこかで縁戚関係にあり、複雑な人間模様を描き出す。この中で一番際だって鮮やかな人物は時田利平だが、女性たちも負けず劣らず個性的である。「姦通罪」というものがまだ存在していた時代に、彼女たちは自由と愛を求めて精一杯生き抜いた。登場人物の多くは中・上流の比較的裕福な人たちであり、そういった階層の生活と心理を描いたという点でこの小説は希有の価値を持つものだが、それだけではない。ここには社会の周辺に追いやられた「異形の者」たちも、セツルメントの活動家たちも、キリスト者たちも登場し、社会のあらゆる階層が描かれ、様々な主義主張が競合する坩堝となっているのだ。その中には政治と芸術、和と洋、伝統と革新などの対立も、出生の秘密をめぐるロマンスもすべて呑み込まれ、渦を巻くように近代日本というキャンバスの絵模様を描き出していく。つまり、これはトルストイ的な歴史小説であると同時に、ドストエフスキー的なポリフォニー小説でもある。
 しかし、それにしてもこれほど膨大で多彩な素材を、いかに長大なものであれ、一編の小説に封じ込めるという奇跡的な業がどのように可能になったのだろうか。『永遠の都』はまさに〈大河小説〉と呼ばれるべき相貌をそなえた堂々たる作品だが、この用語が比喩的に示唆するところ、つまり巨大な一つの河が水源から河口まで悠々と流れていくというイメージを考えた場合、加賀氏の小説はむしろそういった伝統的な〈大河小説〉に対する大胆な反逆の試みという面を持っていることに気付かざるを得ない。加賀乙彦の「歴史小説」が単に古風なリアリズムによるものではなく、もっと現代的な意識に基づいたものであることは、そこで採用されている様々な「語り」(ナラティヴ)の方法に現れている。小説の大部分は三人称の語りだが、一人称による回想も挿入され、科学的な考察について手を抜くこともなく、さらには日記、手紙、新聞報道も引用される。そして加賀氏のしなやかな文体は、過度の感傷を常に抑制しながら、素材間の境界を超えて、物語を推進していくのである。
 加賀乙彦は正統的な形式を踏まえながらもじつは先鋭的であるという、ほとんど不可能とも思えることを実現し、伝統的な小説の可能性の涸渇が云云される時代に、小説の持っていた本来の可能性を示してくれた。長編小説好きをもって自認する加賀氏は、かつて「優れた長編小説とは、大森林のようです。複雑で奥深く(……)数知れぬ生き物に出会う世界です」(『私の好きな長編小説』新潮選書)と述べたことがあるが、『永遠の都』もまた、そういった長編小説の一つだろう。これこそは二〇世紀末に日本語で書かれた、最も小説らしい小説である。

 (ぬまの・みつよし スラヴ文学者)

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