書評

2015年4月号掲載

若き憂鬱人の献身

――佐藤優『プラハの憂鬱』

亀山郁夫

対象書籍名:『プラハの憂鬱』
対象著者:佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-133179-9

 かつて一九九五年の一月に初めてプラハを訪ねたとき、私は、「中欧のパリ」としばしば表されるこの町の孤独な美しさに打たれ、あるエッセーにこう記したことがあった。かりにもし、世界中のどこかの市長になることを許されたら、迷わずプラハを選ぶ、と。当時の私にとって、プラハは二人の固有名詞と深く結びついていた。一人は言うまでもなく、フランツ・カフカ。そしてもう一人は、ロシアの女性詩人マリーナ・ツヴェターエワ。プラハはその後、今は亡き米原万里の名と結びつき、そして今回、この『プラハの憂鬱』を通して、新たな出合いを獲得するに至った。「プラハの市長」というおよそ非現実的な夢には、こうした見えざる糸の導きがあったのだ。
 本書は、日本を代表するオピニオンリーダーの一人佐藤優が、自らの青春時代の知的放浪を綴ったノンフィクションである。世界の政治やコミュニズムの本質、さらに人間の運命といった問題に寄せる好奇心の初々しさが際立つが、私が何よりも興味を掻き立てられたのは、現に私たちの目の前にいる成熟した佐藤の、思想的起源に息づく独自の思考法だ。
 周知の通り、佐藤は、同志社大学在学中にチェコのプロテスタント神学者フロマートカの著作と出合い、神学者としての将来をも念頭に置きつつ、外務省入省を志した。そこには、佐藤なりの若々しい打算が働いていた。そしてその彼が、本来の希望をよそに送られた英国の地で出会ったのが、ロンドンで古書店を営む一人のチェコスロバキア人。名前は、スデニェク・マストニーク。内面的に幾重にも引き裂かれたこの人物との出会いを通し、佐藤は、フロマートカのドストエフスキー哲学や、彼の故郷であるチェコスロバキアの現実、そしてそこに生きる人々の心に巣食う深いペシミズムに触れる。
 タイトルに「プラハの憂鬱」とあるが、プラハの町に関する記述は一行たりともなく、読者は読後にある種の不意打ちを覚える。本書において、プラハは、歴史の荒波に翻弄されて生きる人間の憂鬱を照らし出すサーチライトのような役割を果たしているが、思うにプラハほど、(ことによるとパリ以上に)「憂鬱」の表象としてふさわしい町はないかもしれない。
 W・ベンヤミンの理解に従えば、「憂鬱」とは一種の運命論である。人間の意志の力に対する根本的な不信に苛まれた憂鬱人にとって、世界はまさにその意志の力から切り離され、固定化された状況を呈する。しかし、その憂鬱にとらえられることなく、人は現象の真の洞察者たりえない。その意味で、亡命者マストニークも優れた憂鬱の思想家である。歴史的に「いつ消えてしまってもおかしくない」チェコスロバキア人の、まさに憂鬱な存在論を展開しつつ、彼は語る。
「チェコ人は現実主義者です。……構想力に限界がある民族です。それだから、常に妥協を模索する」
 ロシアとドイツという二つの巨大な力に囲繞され、翻弄されてきたチェコスロバキアの存在自体が、佐藤の根源に息づくペシミズムを深く刺激する。彼の関心はやがて、当然のように、英国と海峡を隔てた北アイルランドの問題へと、そこに住む人々の「過剰同化」へ向けられていく。
 佐藤にとって、おそらく歴史の進歩という観念ほど縁遠いものはないのではないか。それは、フロマートカ神学との出会いから生まれた根源的な世界観でもあろう。だが、佐藤は、ベンヤミンと異なり、持ち前のペシミズムと、救済への狂おしい期待の間で揺れ動いている。その揺れを介して、彼の発言にみなぎる熱とダイナミズムは生まれるのだ。
 本書の執筆動機について佐藤は率直に告白する。
「個人の努力ではどうしても突き破ることができない壁がある」と。これこそはまさに「憂鬱」のペシミズムではなかろうか。彼は続けて、「日本人に完全に同化しようと思ってもそうはなりきれない在日沖縄人である自分の想い」について語り、「複合アイデンティティ」とこれを名付ける。思えば、まさにその「複合アイデンティティ」を、チェコスロバキア人は身をもって生き、神学者フロマートカもまた、誠実さの限りを尽くしてこの二重性を戦い抜いた。この「複合アイデンティティ」のプリズムを通すとき、佐藤の、左右両極への天衣無縫ともいうべき分極化の正体がはっきりと見えてくる。自らを限りなく「脆い」と感じる人間は、時として過剰なペシミズムの表明や局地的なゲリラ戦法に走ることがあるかもしれない。しかし、そこに脈打っているのは、「過剰同化」とはおよそ質の異なる何か、「献身」とでも名づけるべき、誠実かつひたむきな精神性である。

 (かめやま・いくお ロシア文学者・名古屋外国語大学長)

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