書評

2015年2月号掲載

アメリカ文学「名作」の書かれなかった謎を抉る

竹内康浩『謎とき「ハックルベリー・フィンの冒険」 ある未解決殺人事件の深層』

阿部公彦

対象書籍名:『謎とき「ハックルベリー・フィンの冒険」 ある未解決殺人事件の深層』
対象著者:竹内康浩
対象書籍ISBN:978-4-10-603762-7

 マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』と言えば、最初の「純正アメリカ文学」ともされる小説。ミシシッピ川流域を舞台に主人公のハックが逃亡奴隷のジムとともに冒険を繰り広げる物語は、アメリカ人にとって心の原風景となってきた。これを読んでないアメリカ人は、きっとモグリ。日本でもよく知られた作品だ。
 さて。本書はその「謎」を解いてくれるという。
「え~。でも肝心の本を読んでないわあ♪」とか「子供の頃に読んだから、筋、忘れたぁ」というつぶやきも聞こえるが、大丈夫。実は本書で焦点があたるのは、『ハックルベリー・フィンの冒険』に書かれた「謎」ではないのだ。大事なのは、むしろそこに書かれなかったこと。著者の腕前が発揮されるのはここだ。彼は『ハックルベリー・フィンの冒険』という小説をいったんばらばらにした上で、ほとんどトウェインの筆を奪わんばかりの勢いで一から組み立て直してみせるのである。すると、そこに見えてくるのはほんとうは推理小説として構想されたはずのもう一つの作品……。
 手がかりとなるのは、小説細部の「おや?」と思わせる部分である。それほど目をこらさなくても、ちょっと角度を変えてみると気になる部分があれこれ目につく。死体の服は? 足跡は? 十字形は何? と疑問が積み重なる。こうして一通りの「謎」を収集した竹内氏はじわじわと「答え」ににじりよる。ところが、そこで雲行きが変わる。ふと気づくと闇は晴れるどころか、かえって深まっているのだ。しかも、前よりも深く異様な闇。小説のほころびと思えたものがもっと変なものに通じていた。こうして竹内氏の追求の目は、小説の背後に隠れたマーク・トウェインという書き手の正体へと向けられるのである。彼は何かを隠そうとしていたらしい。でも、なぜ?
 本書の後半、謎解きは一気に視界を広げ、トウェインの幼少体験や家族関係、残された草稿の書きつけ、他作品との重なり、さらには精神分析の知見――何かを隠そうとすると必ずそれは追いかけてくる――そして精神分析の創始者フロイトとのかかわりなど、ありとあらゆる証拠が次々に積みあげられる。そうした手がかりをつなげて一筋のストーリーを構築していく竹内氏の手際は見事という他ない。
 冒頭の数頁だけでもめくってもらえばわかるのだが、著者の語りには天賦の才が備わり、あまりにうまいので「ひょっとするとこれはフィクションか?」と思いそうになる。運動神経抜群の文章とはこのことで、断崖絶壁をかけめぐって驚異の生還を果たし、爽快にリポビタンDを飲み干すあのコマーシャルを、はるかにリアルで、知的で、深みのあるものにした心地良い躍動感が楽しめる文章になっている。
 なるほど、文学の研究とはこのようにもありうるのだ。でも、それ以前にこれは、読者に開かれた文学の世界への誘いなのである。

 (あべ・まさひこ 東京大学准教授)

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