書評

2015年1月号掲載

作家の死を超えて生き続ける名探偵

――北森鴻・浅野里沙子『天鬼越 蓮丈那智フィールドファイルⅤ』

千街晶之

対象書籍名:『天鬼越 蓮丈那智フィールドファイルV』
対象著者:北森鴻・浅野里沙子
対象書籍ISBN:978-4-10-120725-4

 普通、ミステリ作家がこの世を去ると、その作家が創造した名探偵が登場するシリーズもそこで途絶えてしまう。ファンは遺された作品のみをよすがに、名探偵の活躍を堪能するしかなくなるのだ。この探偵の名推理は今後二度と読めないのだという哀しい諦めとともに。
 とはいえ、例外もある。アーサー・コナン・ドイルが生んだシャーロック・ホームズが、後続の作家たちによるパスティーシュの中で生き続けていることは周知の通りだ。つい最近邦訳された作品でいえば、ソフィー・ハナ『モノグラム殺人事件』にはアガサ・クリスティーの生んだエルキュール・ポアロが、ベンジャミン・ブラック『黒い瞳のブロンド』にはレイモンド・チャンドラーの生んだフィリップ・マーロウが、それぞれ遺族公認で登場している。
 さて、このたび刊行された『天鬼越(あまぎごえ) 蓮丈那智(れんじょうなち)フィールドファイルⅤ』は、2010年1月に惜しまれつつ急逝した北森鴻の「蓮丈那智フィールドファイル」シリーズの第五巻にあたる短篇集だ。「まさか出るとは思わなかった」と、殆どの読者は驚いたに違いない。
 北森は、異端の民俗学者・蓮丈那智と助手の内藤三國が登場するこのシリーズの長篇『邪馬台』を連載中に逝去した。後に、彼の公私に亘るパートナーの浅野里沙子によって後半の完結篇が書き足され、刊行の運びとなったことはファンならご承知であろうが、本書収録作のうち「鬼無里(きなさ)」「奇偶論」の二篇は、『邪馬台』連載開始前に北森が《小説新潮》に発表したものである。シリーズのオーソドックスなパターンを踏襲している前者は日本推理作家協会編の、異色の安楽椅子探偵ものである後者は本格ミステリ作家クラブ編のアンソロジーに収録されたことはあるけれど、『邪馬台』単行本化の際には分量の関係で併録を断念せざるを得なかったとのことで、こうして単行本にまとめられたのは慶ばしい。
 本書の他の四篇は、浅野里沙子によって執筆されたものだ。ただし、表題作「天鬼越」は北森が遺したプロットをもとにしている。「蓮丈那智フィールドファイル」の「凶笑面」が、木村多江主演でドラマ化されたことをご記憶だろうか。実は、このドラマの二作目の原案として北森自身がプロットを考えたのが「天鬼越」なのだ。実際にドラマ化されなかった事情は不明だが、本書収録作の中で分量も多めであり、最後に明らかにされる犯罪と因習が織り成す構図の大胆さといい、本書の白眉と言うべき出来映えだ。
「天鬼越」は基本のプロットは北森のものとはいえ、肉付けの部分には浅野の案がかなり追加されているという。一方、「祀人形(まつりひんな)」「補堕落(ふだらく)」「偽蜃絵(にせしんえ)」は浅野による完全なオリジナル作品である。浅野にとって、これが大変なプレッシャーであったことは想像に難くない。文体を似せる、レギュラー陣のキャラクター造型を違和感なく継承する、そういった作業だけでも大変だ。しかも、現代を舞台にした犯罪の部分は本格ミステリとして一定の水準に達していなければならず、昔から伝わる風習の謎解きの部分は北森同様の民俗学の知識と大胆な仮説が備わっていなければならず、更に、二つの部分が有機的に組み合わさっていなければならない……となると、これはもう気が遠くなるような高いハードルである。普通なら引き受けない。だが、浅野は敢えて引き受けた。そして、北森の作品と続けて読んでも違和感のない作品を仕上げてみせた。あの蓮丈那智と内藤三國が、こうして小説の中で生き続けている。冷静であるべき批評家としての立場を逸脱して、私はまずそのことに感動したと告白しておく。量産が利くシリーズではないので立て続けである必要はないけれど、浅野には可能であれば今後も「蓮丈那智フィールドファイル」を書き継いでほしいと思う。
 ところで浅野オリジナルの三篇のうち、巻末の「偽蜃絵」だけは趣が異なっている。三重県の名張を訪れた蓮丈那智研究室の面々が、そこで遭遇した一枚の絵の来歴を辿ってゆく話だが、シリーズのパターンを破って、この作品だけ現代の犯罪が全く絡まず、絵の謎解きだけで完結しているのだ。本作が巻末に置かれている理由は、2015年がミステリファンにとってどういう年であるかを思い出せたならば、「なるほど」と思わず笑みを浮かべるのではないだろうか。本書ではこういった稚気にも注目しておきたい。

 (せんがい・あきゆき 文芸評論家)

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