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書評・エッセイ

鬼才が創造した奇想横溢の戦国史

――新城カズマ『島津戦記』

細谷正充

 ライトノベルとSFを中心に作品を発表しながら、その枠に収まりきれない才能を見せていた新城カズマが、ついに歴史小説に乗り出した。しかも題材は、昨今の戦国ファンから絶大な人気を集めている、島津四兄弟を擁する島津家だ。「別世界」「架空言語」「都市」「物語」など、さまざまなものに強いこだわりと、高い見識を持つ作者が、この南国の雄を、いかに料理したのか。すぐさま手に取らずには、いられないではないか。
 天文十八年――西暦でいえば一五四九年。島津家の次兄の又四郎と、三男の又六郎は、長兄の又三郎に命じられ、真の元服式に挑んだ。自分たちの力だけで、桜島を一周するというものであった。なんとか舟を借りて海に出たふたりは、足軽に襲われている女性を助け、岩窟で暮らす異国人たちの存在を知る。どうやら元服式の前に又三郎から聞かされた、奇異なエピソードに登場した人物らしい。さらに回教徒の亡国の姫だというアーイシャの話も、想像を絶するものであった。アーイシャや息子の宿無丸に魅了され、岩窟に通うようになった又四郎と又三郎。しかし平穏な時間は長く続かない。騒動が起こり、アーイシャが死んでしまう。そして祖父・日新斎の壮図を知った島津家の兄弟も、戦国乱世の渦に飛び込んでいくことになるのであった。
 島津家の戦記といえば、関ヶ原の戦いで敵陣突破を敢行した、破天荒な退却戦が有名である。本書のタイトルを見て、それが中心になっていると、予想した読者も多いことだろう。だが作者は、凡手を嫌った。時間軸はもっと前であり、物語のクライマックスになっているのは、島津家が九州を統一する端緒となった木崎原の戦いである。なんとも大胆な設定だ。
 だが本書を読み始めると、そんなことはまったく気にならなくなる。とにかく内容が、ぶっ飛んでいるのだ。アーイシャたちに纏わる話は、『千夜一夜物語』でシェヘラザードが語る、奇譚のごとし。また、彼女たちを島津家に引き合わせた、ポルトガル人の商人のフェルナン・メンデス・ピントは、過去の苦い記憶から、九州の地に宗教戦争を持ち込もうと画策する。それも、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つ巴というのだから、グローバル過ぎるというものだ。
 さらに、アーイシャたちが持ち込んだ“三宝”の秘密の一端が明らかになると、又三郎たちの祖父の日新斎の企む、天下静謐のための計画の全容が判明するのだ。この計画が、実に凄い! 気宇壮大にして奇想横溢な戦国物語を創り出した、新城カズマの才能に脱帽だ。
 ところが作者は、この抜群の着想を、ほとんど前篇だけで消化してしまう。後篇に入ると、いきなり時代が二十年も経過。織田信長の実像と、信長包囲網の真実など、これまた凄い着想があるのだが、あまり発展させてはいない。実に贅沢なことだが、本命の着想は別にあるのだ。前篇でさらりと触れられていた“銀”である。
 石見銀山の採掘により、圧倒的な銀の産出国になった日本。それを巡って巻き起こる、世界的なシルバー・ラッシュを土台にして、島津の、そして日本の戦国史が組み立てられていく。特に明国の扱いが優れており、本当の歴史ではないかと、信じたくなってしまうほどだ。虚実の振幅の中から、異形の戦国時代が立ち上がる。まさに作者でなければ書けなかった、ファンタスティックな歴史小説なのだ。
 ところで作者は物語に、いろいろなネタを仕込むことでも有名である。たとえば本書の、第一章のタイトル「海のほとりの王国にて」。エドガー・アラン・ポーの詩「アナベル・リー」の一節を想起させるが、作者の少女漫画好きを考えれば、その詩を作中で使った水樹和佳(現・水樹和佳子)の『海のほとりの王国で…』を意識しているのだろう。あるいはアーイシャを助けようとしたときの、又四郎と又六郎の会話。宮崎駿監督の劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』の捩りである。もちろん、分かったからといって、どうだという訳ではない。でも、読者に知識があればあるほど、それに呼応して、作品のさまざまな顔が見えてくるのだ。これもまた新城作品を読むときの、大きな楽しみなのである。

 (ほそや・まさみつ 文芸評論家)

新城カズマ『島津戦記』978-4-10-336431-3