書評

2014年8月号掲載

『いま生きる「資本論」』刊行記念特集・資本主義と上手に付き合うために

金銭に還元不可能なもの

――佐藤 優『いま生きる「資本論」』

酒井順子

対象書籍名:『いま生きる「資本論」』
対象著者:佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-133178-2

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「資本論」の存在は知っていても、読んだことはない。世の中の多くはそのような人かと思われ、かく言う私もその一人。『いま生きる「資本論」』を読んで、「資本論」がどのような書物であるのかを、初めて知りました。同時に、「資本論」がものすごく難しい本であることも、そして自分がそもそも「資本」とは何かすら、よく知らなかったことも。
 本書は、佐藤優さんが行った「一からわかる『資本論』」という全六回の講座を、一冊にまとめたもの。読んでいると自分も講座の現場にいるような気持ちになります。
 佐藤さんのスピーチを私は聞いたことがあるのですが、会場の人の心を掴む術は、一種魔術的。その目力(めぢから)ともあいまって、身体ごと惹き込まれそうになります。この講座でも、難解な「資本論」の内容と、カジュアルなおしゃべりとの硬軟とりまぜ方に、受講者達の興味は釘付けにされたことでしょう。
 そして佐藤さんは、旧ソ連が崩壊し、社会主義から資本主義へと移行する現場に居合わせた方。だからこそ、たとえば「資本主義のスタートにおいては激しい収奪過程がある」といったことの説明に対して、生々しい実例が提示されるのです。
 本書には、佐藤さんと受講生とのやりとりも、たっぷりおさめられています。質疑応答はもちろん、毎回課題が出されるので、次の回はそのレポートの講評から講座が始まります。
 私も一応、読みながら課題について「私ならどう書くであろうか」と考えてみました。とはいえ「ビットコインは、マルクスが『資本論』で規定するところの通貨か」といった課題に対して、もやもやとした考えしか浮かび上がらない。次の章で紹介される受講者によるレポートのレベルが非常に高く、劣等生気分をうんと味わうものの、しかしこの本は普通に本を読む時とは異なる脳の部分を動かしてくれます。
 そして何よりも私にとって刺激になったのは、「金銭に還元不可能なもの」を身につけることの重要性を、佐藤さんが強調されていたことです。古典や小説を読んで想像力や知性を身につけることが、新自由主義や新帝国主義といったものが台頭する中で生きていくには必要なのだ、と。
 佐藤優さんは、大学院で神学を学ばれたキリスト教徒ですが、聖書には、
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19―23~24)
 というイエスの言葉が記してあります。この時の言い方の強さを見ても、金持ちがキリスト教の天国に行く資格は全く無さそうなのです。
 しかし貨幣所有者が、そのお金を増やそうとしないなどということはあり得ないということを、私はこの本で知りました。その動きはもう、貨幣の中に織り込まれている「恋」のようなものなのだ、と。
 だとするならば、アメリカのような国がキリスト教国であることには、大いなる矛盾、というか皮肉を感じざるを得ません。日本においても、キリスト教徒って何だか、お金持ちが多いしなぁ……。
 資本主義社会の中でヘトヘトにならないための術を教えて下さるのは、佐藤さんがキリスト教徒だからなのだと、私は思います。知性と教養を、身につけること。そして、家庭もしくは直接的人間関係、すなわち金銭のやりとりが介在しない人間関係の場において、資本主義の奔流から身を守ること。そんな避難場所を佐藤さんは指摘するのであり、「資本論」を学ぶということは、今の日本社会で生き抜く手法を学ぶことであると、気づかされるのです。
 私は今まで、なぜ日本では少子晩婚化が進んでいるのかについて、あれこれと理由づけをしてきました。が、
「いま非婚という選択をする人が増え、子どもを作らない人たちが増えるのは、資本主義というシステムが自壊しているプロセスなのだ」
 という文章を読んだ時は、自分の中にあるぼんやりとした考えに、一本筋が通ったような気がしたもの。そして自らもまた資本主義の中に組み込まれた一人であることを、改めて深く実感したのです。

 (さかい・じゅんこ エッセイスト)

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