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書評・エッセイ

ヤマイダレノウタやまいだれの歌

西村賢太

1,320円(税込)

十代にして人生列車のレールを外れた貫多の、労働と悪態、片恋と小説の日々。

中卒で家出しその日暮らしを繰り返していた北町貫多は、十九歳にして心機一転を図ろうとした。横浜で新しい仕事を得、片恋する相手も見つけ、人生の軌道修正も図れるかと思いきや、ほどなく激しい失意が訪れる。そのとき彼の心の援軍となったのは、或る私小説家の本だった──。暗い青春の軌道を描く待望の長篇私小説。

貫多! これからどこへいくんだ!

――西村賢太『疒(やまいだれ)の歌』

麻木久仁子

 芥川賞受賞作『苦役列車』のラストの場面から始まる、北町貫多の青春、続編である。
 のっけからあまりに貫多が「貫多らしい」。虚しさに身を任せながらハイライトをくわえて火をつけると、川面に向かって橋の欄干に凭(もた)れ掛かる。貫多の身の程知らずのローンウルフ気取りが健在であることを、読者は早々に気づかされるだろう。わたしも「さあ今度は、彼の心のうちになにが起こるのか」と、読み始めてすぐに引き込まれてしまったのである。
 将来の展望もないまま十五歳で一人暮らしを始めた貫多は、日雇いの仕事で生計をたてている。といっても真面目にコツコツとはいいがたく、どうにも金が続かなければ母親に無心すればよいとばかりに、出勤しようかどうしようかとグズグズしては無断欠勤、家賃滞納の常習犯という体たらく。そうして若い貴重な三年半を、じつに無為に過ごしてしまった貫多であったが、来年には二十歳になるという今になって、焦燥感に駆られ、生活を立て直そうと、まさに一念発起するのである。まだ人生逆転する可能性は皆無ではないはずだ! 一切抗うこともなく身を任せてきた負の流れを変える! そのために新天地をもとめて横浜に居を探し始めるところから物語がはじまるのだが。
 造園会社で職を得た貫多は、〈根が駄々っ子気質の完璧主義者〉ゆえに、一度つまずけば一気に全てが駄目になってしまいかねない自覚もあり、なかなか頑張って働き始める。そして、彼よりもよほどまともな同僚たちを心の中で土方だの田舎者だのと馬鹿にしながらも少しずつ居心地のよさも感じ始める。そこにあらわれたのが事務員として入社してきた佐由加である。実のところほぼ恋愛経験もないくせに〈根が眠れるジゴロ〉と自負する彼は、独りよがりの岡惚れにのめり込んでいくのだ。
 露悪的でひねくれ者の貫多が、仕事に、恋に、身の程を知らない自信を持ちながら調子に乗っていく姿を追っていると、なぜか憎めないというか、いとおしくさえ感じてくるから不思議だ。貫多自身がなんと言おうと、きっと芯のところに人恋しさや人なつこさを持っていて、しかもそのことに自分ではてんで気づいていないところが、こちらをせつなくさせるのだろう。困った奴である。「おお!」「ややや、それは!」「うーん」等々、貫多の一挙手一投足に声をあげてしまった。
 ところで、今回の貫多の見どころは、彼の「読書ぶり」である。かねてから横溝正史や江戸川乱歩など好んで読んでいた貫多だが、「田中英光」という作家に出会い、初めて純文学を「面白い」と思うのだ。見切り品のまぐろフレークの缶詰でささやかに晩酌をし、小金を貯めてはソープランドへ行き、あるいは片思いの佐由加を妄想の中で散々に犯す。朝はくみ取り便所を嫌って部屋の流し台に盛大に放尿して体内のアルコールやらなんやらを排出しスッキリする。そうした日常の楽しみの延長線上で純文学を読む。知的楽しみというより、肉体的楽しみのごとく純文学を読むのだ。食欲や性欲と同等の読書欲とでもいうものが彼の肉体を癒し、心を癒す。そんな本の読み方ができるところが、この露悪な青年のもっとも真っ当なところであり、だからこんな困った奴なのに心惹かれるのかなあと思わされる。いつも自分で自分を韜晦しているような貫多の、根の正直さを見るような気がするのだ。そして、所詮変わることが出来ないかに思われた貫多の「本の読み方がちょっと変わった」ことが、彼の人生にほんの少し「可能性」を与えたような気がして嬉しくなるのである。
 貫多! これからどこへいくんだ! 十九の貫多の行く末が、気になってならない。

 (あさぎ・くにこ タレント)

西村賢太『やまいだれの歌』978-4-10-303236-6