書評

2014年7月号掲載

昭和調で奏でる近未来ミステリー

――樋口有介『金魚鉢の夏』

香山二三郎

対象書籍名:『金魚鉢の夏』
対象著者:樋口有介
対象書籍ISBN:978-4-10-335891-6

 近未来を背景にした小説というと、ついキナ臭いイメージにとらわれがちな昨今のアジア情勢。北朝鮮が三発のミサイルを撃ってきてから一〇年後の日本だなんていえばなおさらで、即飢餓や暴力が蔓延するディストピア小説だと思われても致しかたないが、本書の場合はちょっと違う。
 舞台は群馬県の山間、八ッ場(やんば)ダムで有名な地域のさらに奥の薄(すすき)集落にある「希望の家」という施設だ。
 時の政府はミサイル攻撃をきっかけに在日韓国・朝鮮系への生活保護ばかりか、生活保護制度それ自体を廃止してしまった。だがそれが功を奏し、低賃金の労働力が国内で復活、日本は戦後最大の好景気を迎えた。しかし仕事はあっても生活は楽じゃなく、生活困窮者のために希望の家のような収容施設が全国八百カ所以上に設置されたのであった。
 物語はその希望の家出身の高校生・園岡由希也が夏休みで帰ってくるところから幕を開ける。由希也には本来進学は認められないはずだったが、エリート所長の山本夜宵に目をかけられ、特待生として高崎の高校に通っている。希望の家では、幼時の事件が原因で発声障害に陥っている幼馴染の長浜蛍子が彼の帰りを待っており、いつもの夏がまた始まろうとしていたが、思いも寄らない事件が起きる。
 施設の主(ぬし)といわれるおしゃべり婆さんの横山トミ子が階段から転げ落ち、搬送先の病院で死去。それは一見事故と思われたが、用務員の糸井がトミ子が落ちた階段の上に人影を見たと証言したのだ。かくて元群馬県警刑事の一之瀬幸祐が孫娘の愛芽ともども希望の家に捜査にやってくる。
 ミステリーとしてはその捜査が軸になるが、聞き込みからは大したことはわからない。その辺いささか眠たく感じる向きもあるかもしれないが、近未来日本の現状、集落の様子、施設の背景、収容者たちの暮らしぶり等が浮き彫りにされていくそのくだりにこそ本書の真骨頂がある。
 そもそもミサイル攻撃で日本がパニックになるどころか未曾有の経済大国に返り咲くなんてありえない、と思いませんか。しかも政府は予算節約の一環として刑務所を縮小、刑罰として島流しを復活させ、費用を払えない罪人は硫黄島(女性は北硫黄島)に送られる。警察も警察で、殺人事件は被害者の素性によってA、B、Cでランク付けし、トミ子のような一般人の婆さんで事件とも事故ともつかぬような場合は最低ランクのCマイナス。そのクラスになると、捜査も退職警官や弁護士等有資格者による委託捜査となるのであった。
 いっぽう由希也と蛍子を始め、希望の家の人々は老若男女を問わずひと癖もふた癖もある面々ばかり。廃校を再利用した施設で質素な暮らしを続ける彼らのありさまは、愛芽の言葉通り、まさに昭和の再現といっていい。土地の言葉でとぼけた顔して彼らの間に入っていく幸祐もなかなか真相に迫れないが、だからといって無能なわけじゃなく、昭和の名刑事らしい“人情探偵”として事件を現実的解決に導いていく。
 近未来のシミュレーションに昭和調の捜査劇、そして多彩な男女が織りなす愛憎劇を自在に織り交ぜた演出は、まさにこの著者の独壇場。最初はありえないと思っても、いつしかそのリアルで軽妙なマジックに丸め込まれ、そういうのもありかと説得されていくこと必定だ。
 樋口有介といえば、デビュー長篇『ぼくと、ぼくらの夏』を始めとする青春ミステリーや、中年モテ男の私立探偵柚木草平を主人公にしたハードボイルドシリーズで知られるが、本書はそうした独自の趣向、キャラクター造形も活かしつつ、さらに大胆な設定で日本の行方を占ってみせた。冒頭で本書はディストピア小説とはちょっと違うと書いた。本書で描かれる日本は活況は呈しているけれども、その実生活の格差は拡がり、人々の自由も制限されつつある。本書はディストピア小説ではなく、ディストピアが今そこに迫る恐怖を描いた警鐘の書でもある。ラストの展開も気になるところだし、シリーズ化も期待されるが、通常のシリーズものとはちょっと異なるつながりかたを工夫して頂いて、シリーズ自体、この著者らしいユニークなものにならないかと夢想している。

 (かやま・ふみろう コラムニスト)

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