書評

2014年4月号掲載

どんな仕事にもドラマはある。

――徳永圭『その名もエスペランサ』

荻原浩

対象書籍名:『その名もエスペランサ』
対象著者:徳永圭
対象書籍ISBN:978-4-10-332382-2

 けなげでキュートな物語だ。忘れていたものを思い出させてくれる。
 徳永圭の『その名もエスペランサ』の主人公、本郷苑子(ほんごうえんこ)は二十九歳。新卒で入った会社が半年で倒産し、以来六年以上派遣社員を続けている。
 苑子の新しい派遣先は、自動車部品メーカー、鈴並工業。小型車用のガソリンエンジンを製造している。職場にいるほとんどが壮年から定年間際のおっさんだ。作中の表現を借りれば、『皆ベージュ色の作業服に身を包み、まるできな粉おはぎがずらりと並んでいるよう』(笑)。
 英文事務が専門で、これまでそれなりに近代的で小ぎれいなオフィスで働いてきた苑子にとっては完全アウェイ。しかも「現場の知識がなくては仕事にならない」という理由のもと、作業服と安全靴姿で、油や錆の臭いと騒音に満ちた工場のただ中へ放りこまれる。直属の先輩社員は、「チャラ男」の作田(さくた)。だいじょうぶか、メガネ女子、苑子。
 序盤の展開は、苑子の心情そのままに、地味でどんよりしている。就活中の学生なら、鈴並工業には入りたくない(特に女性なら。なんせセクハラ上等! パワハラ万歳! の男社会だ)、と思うだろう。
 だけど、若者よ。夢を摘むようで申しわけないが、過去に二十数種のバイトを経験し、十年ぐらい前まで広告業者としていろんな業界と会社に出入りしてきた私は、ほぼ断言してしまえる。多かれ少なかれ、現実の会社ってこういうものなのだ。
 ドラマやCMに登場するようなおしゃれなオフィスなんてそうあるもんじゃない(ちなみに、おしゃれな会社って往々にしてアクが強かったりするよ)。日本の経済は、良くも悪くも、この鈴並工業みたいな会社に支えられているのだ。
 苑子が採用されたのは、これまで国内の自動車メーカーに出荷していたエンジンを、スペインのメーカーに供給する全社的プロジェクトの人員不足を補うためだった。プロジェクト名は、エスペランサ。スペイン語で「希望」。
 このプロジェクトの進行につれて、物語は加速していく。
 とはいえNHKの“プロジェクトX”のような重々しいナレーションが似合うとはいいがたいシチュエーションだ。主人公は気鋭の技術者でもなければ、世界と渡り合うビジネスマンでもない、部品係を兼務する英文事務の派遣社員なのだから。
 それなのに、苑子の日々の奮闘に、読んでいるこちらの胸はしだいに熱くなっていくの、だった。チャラ男作田がだんだんかっこよく見え、いつしか行間から中島みゆきのテーマソングが聴こえてくるの、だった。
 たかが、というと失礼だが、エンジンを組み立てるための部品を調達する、それだけの仕事が、スリルとサスペンスに満ちた話になっていく。なにしろ専門用語を知らない苑子が英訳するスペインからのオーダーひとつで巨大な工場が動き、綱渡りでサプライヤー(下請け)に発注した部品が滞れば、工場のラインはストップし、毎日の納期に、あるいはプロジェクトの試作品を運ぶ船便に間に合わなくなるのだ。
 二十代の若さでボイルドエッグズ新人賞を受賞した(2011年『をとめ模様、スパイ日和』)作者、徳永圭は教えてくれる。どんな仕事にも、働く誰にでも、ドラマはあるのだと。自分の仕事に前向きでひたむきでさえあれば。
 仕事って面倒臭い。時につらい。できれば怠けたい。おまけに職場の人間関係はなにかとわずらわしい。だけど、大人になったら働くことは避けて通れない。だったら、どうせ働くなら、自分でドラマをつくってしまえばいい。
 読んでいて、会社勤めをしていた頃の自分を思い出した。同僚たちとぐだぐだ文句を言いつつ徹夜仕事にハイになった日々や、終わった時の達成感と解放感が懐かしくなった。
 いまさら戻れないだろうし、戻るつもりもないけれど、会社もいいもんだな。月々きちんと給料を貰えるし。

 (おぎわら・ひろし 作家)

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