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書評・エッセイ

山本周五郎と私

自分にとっての読むべき作家

西村賢太

 私の“山本周五郎体験”は早いようでいて、その実は随分と遅いものだった。
 最初にその作にふれたのは、十六歳のときである。
 当時、或る文庫からは昭和二十年代のミステリ短篇を集めたアンソロジーが出ていた。そしてこの集中には、『寝ぼけ署長』の内の一話も採られていた。
 他の作家群の未知なる作を目当てに、この書を珍しく新刊で購入した私は(その時分は本の入手法と云えば、カバーの取れた、三冊百円での古書店の均一台からと決めていた)、そこで初めて該作家の作をも実際に知ることとなったが、正直なところ、そのときは読んでいて余り面白いものとは思えず、直前まで他の収録作家――朝山蜻一や山田風太郎なぞの濃厚な味付けの短篇に陶然となっていたせいか、何かこう、もう一つ物足りないと云った、今思うととんでもなく見当違いな、馬鹿丸出しの感想を抱いたものだった。
 いったいに私は、一読して面白さを感じた小説家の著作はその後立て続けに、あれもこれもと集中して読み込む癖(へき)を持っている。
 当然この折の不明のおかげで、その後は長い間、こと周五郎作品に関しては、まるで無縁に打捨てると云う年月を経(た)ててしまった。
 つまり、初接触こそは若年時であり、その体験はそこそこ早い方ではあったのだ。
 だがその際に、何んら肝心の真価も掴めなかったが為、再びかの作家に相見えたのは、それから実に十年と云う長の時間を隔てたのちのこととなったのである。
 で、やはりこのときも、依然その入手法は古本屋の均一台ではあった。そして同じく、単なるヒマ潰しの目的に過ぎぬものではあった。
 ただ、その頃には、すでにかの『青べか物語』が周五郎の代表作の一つであるとの知識は持っていた。
 それだからこれは――今度はそれなりに、こちらの期待に応えるだけの何かはあるものだろうと、またもやかような不遜な思いでもって二度目のアプローチを試みたのである。
 そして結句(けっく)、これにはすっかりと魅了されてしまった。
 物語自体の面白さもさることながら、舞台となった浦粕――浦安の町の描写にも参ってしまった。
 時代こそ違うものの、その描写の一つ一つに、生まれ育った江戸川での日々の記憶が、やけに重なってしまったのである。
 私の場合、十一歳までを過ごしたその界隈には、余りいい思いは持っていない。
 父親の起こした性犯罪が因で一家は解体し、近所の白い眼と嘲笑を避ける為の、全くの夜逃げのかたちで後にしてきたその風景には、最早懐旧の情なぞ抱けようはずもないのである。
 だから私は、例えば映画の『男はつらいよ』と云うのがなかなかに苦手だ。そのタイトルバックにはあの見慣れた江戸川の土手の風景が必ず現われるが故に、観てるこちらが“つらい”のである。
 そしてそんな私であれば、本来ならこの『青べか物語』にも同種の嫌悪、と云うか敬遠を抱きそうなものである。
 だがこの作に関しては、なぜかそうはならなかった。読了後、その封印を解かれた記憶の風景を、なぜかひどく心地良いものに感じていた。
 すでに私の少年期には、江戸川にべか船の姿はなかったが、小学校のグラウンドの片隅に、当時のそれがモニュメント的に置かれてあったことなぞを、妙に懐かしく思いだしてしまった。
 おそらくはこれが周五郎の持つ、独自の筆力の魔術なのであろうが、このときに、過去には気付くことのできなかったその真価の一端にふれた思いがしたことは確かだった。
 それが故、直後には今度は立て続けで、新潮文庫に入っていた目ぼしい長篇を、時代物、現代物を問わずに一気に読みまくりもしたのである。
『寝ぼけ署長』も、ようやくに全話を通読した。
 少しはこちらも成長したのか、初読時には分からなかった味わいが、今度は確(しか)と感じられた。
 またご多分にもれず、『樅ノ木は残った』と『さぶ』には特に熱狂させられた。
 本腰を入れて読んでみると、そのどれもに一読巻を措くあたわず、の面白さがあったのである。今更ながらだが、これは私にとってはうれしい発見であり、そして新たなる幸せな読書体験となったことにも間違いはない。
 だがこのときの私は、実はまだ周五郎作品のもう一つの方の真価の味わいには気付いていなかった。
 短篇小説の独得なるキレ、についての点である。
 無論、主要長篇の一大山脈を、周五郎の言葉を借りて云えば「良い小説か、悪い小説か」のみの判断基準でもって乱読するだけでも、その作品世界の醍醐味と云うのは充分に堪能できよう。
 けれど一方で、骨太な文体でありつつ、こちらの心のデリケートな部分に妙に沁み込んでくる短篇群も味読し、意外な程に前衛的手法をも用いているその技巧派ぶりに驚くのも、周五郎作品を楽しむ上では間違いなく得な方法である。
 この驚きに気付いたのは、すでに三十歳も過ぎた頃だったから、私の“周五郎体験”はどこまでも早いようでいて、その実、極めて遅かったと云うのだ。
 しかもこの点もまた、他の作者を目当てとした漁書の途次で気付かされたことなのである。
 私は二十九歳の頃から大正期の私小説作家藤澤淸造に興味を持ち、その時分はかの私小説家の散逸した作品や参考文献を集めるのに血道を上げていた真っ最中の折でもあった。
 初出掲載誌は現物入手、架蔵主義でゆこうと決めていたので、古書展等でその手のものを一つ一つ拾い集めていったが、そのうちの一冊に「文藝春秋」の大正十五年四月号があったのだ。
 この号には藤澤淸造の創作も随筆も載ってはいない。参考文献として取り扱うべきゴシップ欄にも、その名は言及されておらぬ。
 しかしこれを買い購(もと)めたのは、別段深い思惑があってのことではなく、単に同誌の大正期発行分のものは集めているうちにかなり揃ってきてしまったので、この際、コンプリートを目指す気になっていたと云うだけの話に過ぎなかった。
 だがそこに、周五郎の処女作と目される短篇の「須磨寺附近」が所載されているのは誠に拾いものと云うべきで、何気なくそれを読んでオヤと目をそばだてたのである。
 後年、数々の長篇で発揮するところの、あの硬質でキレのある文体が、すでにこの処女作でハッキリと確立されていたのだ。
 それは同号創作欄の、泉鏡花や正宗白鳥、近松秋江、里見弴、或いは新進の川端康成や牧野信一ら錚々たる名文家の中にあって、小面憎い程の存在感を放っていた。
 この直後に、やはり藤澤淸造絡みで「演劇新潮」の大正十五年六月号も手に入れたが、ここには周五郎の戯曲が所載されていた。
 正直、これには余り感心しなかったが、しかしそれらの短篇を知ったことによって、この作家のものはジャンルや枚数の長短を問わず、自分にとっては網羅して読むべき――つまり、“好き”な小説家となったのである。
 この思いは、近年は尚と一層、強固なものになっている。
 純文学的要素をすべてその作中に備えつつ、しかし純文学の悪しき面である、わけの分からぬ観念や、一人よがりの、一部の利巧ぶった読者や文芸評論家にしか通用せぬ、鼻持ちならないその手の「面白さ」は一切排し、誰にでも分かる「面白さ」を追求したこの小説家の姿勢に、仰ぎみるような敬意をここ数年、とみに抱くようになった為かもしれない。
 そのせいもあるのか、『火の杯』も、二十年程前の初読時と、今回の再読時では随分と印象が変わっていた。
 初出である、当時の新聞連載と云う制約の中では致し方のないことではあろうが、顕著な通俗性にやや鼻白みながら読んだあの頃に比べて、作者がかような窮屈なしばりの中でも全霊を込めた、そのテーマの在りかを感じながら読了した此度の方が、読者としてはるかに幸せなことであったと思える。
 先の「須磨寺附近」でもそうだが、周五郎は現代小説にときどき私小説の手法、或いはそのエッセンスを練り込んでくる。本作でもまた、馬込文士村時代の面々が随所に顔をあらわし、この点もまた楽しめるのである。
 但(ただし)、それを描くところの筆致は、さすがに尾崎士郎(本作ではおそらく“小滝”として、チラリと言及されている)をして「曲軒」と云わしめた、徒党を組むのを嫌う周五郎のことだけあって、どこまでも物語中の点景人物として取り扱う辺りが、また作者の面目を如実にあらわしてもいるところなのだ。

 (にしむら・けんた 作家)

山本周五郎 山本周五郎長篇小説全集第25巻『火の杯』