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書評・エッセイ

感謝と資料

――北原亞以子『雨の底 慶次郎縁側日記』

畠中恵

 北原亞以子先生の、「慶次郎縁側日記」シリーズ。この作品を読むと、いつも感じることがある。心の奥底にあって、いつもは自覚していないものと、向き合っているような気持ちになるのだ。
 その心情は、普段気にしていなかったから、無自覚であったものかもしれない。もしかしたら考えたくもない故に、わざと見ていなかった、思いということもあり得る。ひょっとしたら、気恥ずかしくなるような、ほんわり甘やかな心持ちだったりする。何にせよ、その考えは確かに、己の中に存在していたものなのだ。それが物語を読むと共に、形を取って現れてくるような気がする。
 このシリーズの主役である慶次郎は、心の奥底に、娘の死にまつわる、消える事の無い辛さを抱えている。それ故にか、読み手にも、様々な気持ちをかき立ててくるのだ。
 今回の『雨の底』でも、「はこべ」では、慶次郎の娘を死に追いやった男の娘が関わり、その事実が慶次郎の、そして娘自身の心を騒がせる。他の話では、意地を張る若だんなや、男運の悪い女などなど、ままならぬ思い故に、読み手の気持ちを揺らす事もある。
 そして「横たわるもの」では、細やかに綴られる登場人物の気持ちが物語を進め、結末へと誘う。読み手の気持ちを話の中へと、誘ってくれる。じんわりと染みいる物語があることを、感じてゆくのだ。
 今回の一冊を最後まで読んだ時、この結末の後、登場人物達はどうなっていったのだろうと、しばし思いを馳せたりした。暮らしぶりは? 人との関係は? そんな事を考えずにはいられない、物語であった。
 ところで、私が北原先生に初めてご挨拶したのは、時代小説研究会という場であった。北原先生が主宰されていた会で、時代小説に関わっている編集者や物書きに、学ぶ場を作ってくださったのだ。
 その会へ行っている作家さんとご縁があり、私も出席できることとなった。まだ新人で、資料本の知識や時代物での常識など、分かっていない事は多々あり、学べる会へ加えて頂いたのは、ありがたい事だった。自分が何を分かっていないか、それが分からないのだから、始末が悪いという状態であった。時代物書きが押さえるべき点を知る場、大変貴重な一時であったと、今になってつくづく思う。
 あの研究会では、時代物を得意とする絵師さん方にもお会いし、あれこれお話が出来て、それもまた嬉しかった。原稿を余り遅らせてはいけない。担当されている絵師さんに、思い切り迷惑をかけてしまうと、己に言い聞かせた場ともなった。
 そして、もう一つ、北原先生には大変感謝をしている事がある。実は、知人の作家さんが北原先生と親しかった関係で、先生の持っていらした資料本を、分けて頂ける事になったのだ。
 とにかく、己以外の作家さんの蔵書を、まるごと拝見するというのは初めての体験であった。もの凄く、興味深い出来事で、目に出来て有りがたかった。
 何しろ『慶次郎縁側日記』を、そして他の著書を、どういう資料を使いつつお書きになったのか、知る事が出来たのだ。
 北原先生の蔵書は、主に、床を補強した一部屋を丸ごと使い、収まっていた。その上、仕事部屋にも本棚があり、廊下にも本は収まっていたから、本当に数多(あまた)の資料を参考にされていた訳だ。
 本を頂く側は五人であった。一人頭段ボール箱で何箱も頂いたにも拘らず、書棚の本は大きく減らされたという感じではなかった。
 時代物の資料は、古びる事が少ない。よって、捨てられないのだ。だから本を書いてゆくと、本当に多くの資料を抱える事になる。頂いた資料も含め、いつかまた、書き手の方へ渡していければ良いのだけれどと、ふと考えてしまった。
 資料からは、北原先生が作ってこられた世界の情景が、にじみ出てくる。江戸が、湧き上がってくる。残された物語を読み、楽しみ、味わって頂けたらと思う。

 (はたけなか・めぐみ 作家)

北原亞以子『雨の底 慶次郎縁側日記』978-4-10-389222-9