書評

2014年1月号掲載

富士を舞台に描く現代の黙示録(アポカリプス・ナウ)

――柄澤齊『黒富士』

中条省平

対象書籍名:『黒富士』
対象著者:柄澤齊
対象書籍ISBN:978-4-10-334971-6

 驚愕の奇想小説です。しかし、この作品を、狂ったような緊張感と激情をはらんで、破綻すれすれのラストまで疾駆する独創的なファンタジーであると紹介してしまってよいものかどうか?(ってもう紹介してしまってるわけですが)
 というのも、作者の柄澤齊は、前作『ロンド』において、あくまで合理的な思考によって〈死〉という怪物を追いつめる本格推理小説の傑作を書いた作家だからです。本作『黒富士』にも二つの殺人事件が描かれ、この点に関しては、読者の誰もが納得のいく合理的な謎解きがなされます。
 しかし、本作はミステリーというジャンルの規則を平然と踏みにじり、そのはるか先へ敢然と進んでいきます。そして、暴走に暴走を重ねるラスト数十ページに至って、これはもうファンタジーと呼ぶしかない想像力の大爆発をひき起こすのです。読者の驚き(というより唖然呆然)をそこなわないために、説明はここまでにとどめるほかありません。ともかく、いまだかつてこんな奇妙に錯綜したイマジネーションの激発を見たことがないといっておきましょう。
 主人公は二三歳の空木蓑太(うつぎみのた)。俳句結社を主宰していた父の遺品を黒戸彷尊(くろどほうそん)という人物に届けるため、富士山麓の樹海を渡っていました。この始まりはちょっと泉鏡花の『高野聖』を思わせます。鏡花よりは理の勝った剛直な文体ですが、ポエティックで一見閑雅な山中紀行のなかに、じんわりと重い不安をかもしだす手腕がじつにみごとです。『ロンド』以来、柄澤齊は、いま風のミステリーやファンタジーの趨勢に逆らう反時代的に稠密な文体を探求して、『黒富士』ではそれが不動の個性として身についたようです。
 遺品の届け先の黒戸彷尊という老人は書家で、「いれたらださなきゃならないのが管/だしたらいれなきゃならないのが管/いっぽんの管に管ばかりくっつけて/いれたりだしたりだしたりいれたり」といった自作のポエムを書にして大成功を収めています。どこかの詩人書家を連想させる、まったくもって通俗的な人間肯定の言葉のように見えて、じつは、その底に恐ろしく不逞でニヒルな魂が蟠踞していることを見逃してはならないでしょう。じっさい、彷尊は、書によって人間の体にひそむ毒を吐きださせるというカルトめいた「三峰苑(さんぽうえん)」という道場を開き、あらゆる病気に効く富士水脈の「金冥水(きんめいすい)」という高価なミネラルウォーターを販売し、広大な霊園を経営して、莫大な利益を上げているのでした。
 この彷尊と対立するのが、同じ富士の裾野で豪華なゴルフ場、終身介護の大病院施設、最新鋭の火葬場、そして通好みのラーメン店「とぐろ屋」を一手に営む「ミレニアム・グループ」総帥の早月千鶴(はやつきちづる)という七十近い美魔女です。
『黒富士』の表面上の主な筋立ては、三峰苑とミレニアム・グループの間を行き来する蓑太の視点から描かれる、彷尊と千鶴の仁義なき戦い、その虚々実々の策謀の駆けひきです。
 ここにさらに、富士山の地下に巨大なゴミの城を築いて蛮族の帝王のごとく暮らし、「霊柩王」と称する超大型リムジン霊柩車を駆って富士山麓の迷宮を縦横にめぐるナギという巨人をはじめ、火神・木花咲耶(このはやさくや)姫(富士の浅間神社縁起によれば俗名・かぐや姫)の末裔ともいうべき謎の女丈夫・咲耶、さらには、いずれ劣らぬ悪党どもが老若男女いり乱れて跳梁跋扈し、目まぐるしいテンポで、スラップスティックな黒い哄笑を交えつつ、巻末のカタストロフへとつき進みます。
 その天地をさかさまにするカーニヴァルのような狂躁の冒険ドラマを根底で支えているのが、本書のタイトルとなった富士山の哲学的な意味あいです。
「富士は日本で天にもっとも近い場所だ。国土を象徴し、文字通り不死を象徴する場所でもある。端正で優美な姿は自然が作った超巨大ピラミッドと言ってもいいだろう」
 しかし、だからこそこの墳墓の下には、ゴミのような世界を破壊する死の力が封じこめられ、溶岩のように沸々と滾っているのです。富士は世界〈遺〉産などではない。いまも活きて、本書で現代日本に黒いアポカリプスをもたらします。
 最後に、本書が怪奇小説史上の名作、ナサニエル・ホーソーンの『ラパチーニの娘』への美しいオマージュであることをつけ加えておきましょう。

 (ちゅうじょう・しょうへい 学習院大学教授)

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