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書評・エッセイ

原発には「商品テスト」ができるのか?

――津野海太郎『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』

黒川創

 戦後まもなく生活雑誌『暮しの手帖』(当初は『美しい暮しの手帖』)を創刊し、独特のグラフィックな手腕を縦横にふるいつつ、メーカーからのいかなる圧力にも屈さず公正かつ大がかりな「商品テスト」をつらぬいて、発行百万部の巨大誌に育てた異能の編集者、花森安治(一九一一〜一九七八)の伝記である。百年余り前に生まれた人物だが、彼の生きた時代が、現代にも重なって見えてきて、そのたび私は目まいにも似た深く不思議な感動を味わった。
 そこに至る前史をたどると、花森は神戸に生まれ、旧制松江高校を経て、一九三三年(昭和八)、東京帝大文学部の美学美術史学科に入学する。一見、エリートコースのようだが、
「大正末にはじまる『大学は出たけれど』のおそるべき就職難は、このころもまだつづいていた。たとえ東京帝大であろうと、文学部、ましてや美学美術史学科ともなれば、いくら学業にはげんだところで、大学や高等学校はおろか、いなかの中学の先生にもなれない。」
 つまり、今と同様の就職氷河期。おまけに、当時はさらに状況が一歩進んでいて、大学卒業後には徴兵検査がある。花森は、甲種合格、北満洲に兵隊として送られる。現地で発病。一年余りで内地に送り返され(三九年)、命拾いをするのだが、戦地にとどまる戦友たちへの「うしろめたさ」が彼に残る。
 学生時代から、彼は、画家でデザイナーの佐野繁次郎の部下として、化粧品会社・伊東胡蝶園(のちのパピリオ)で広告制作者として働いてもいた。戦時下の日本内地に戻ると、こうした仕事の延長で、国民精神総動員の国策標語、「ぜいたくは敵だ!」まで生み落とす。当時としては、これとて、ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、ソ連のスターリニズム……といった「挙国一致」型の国家改造、その「チェンジ!」の大合唱の先端を行くコピーだったと言えなくもないだろう。
 だが、日本は、この戦争に負ける。
 その直後、大橋鎭子という若い女性(のち、暮しの手帖社社長)から出版社起業を相談されて、「今度の戦争に、女の人は責任がない。(略)ぼくには責任がある。(略)だから、君の仕事にぼくは協力しよう」と、『暮しの手帖』への助走が始まる。「ボクは、たしかに戦争犯罪をおかした。言訳をさせてもらうなら、当時は何も知らなかった、だまされた。(略)これからは絶対だまされない、だまされない人たちをふやしていく」と。
 こうした花森の軌跡をたどる津野の筆致は、鋭利で、広い視野をもち、しかも、こまやかだ。
『暮しの手帖』による「商品テスト」は、燃焼中のストーブをわざと倒してみる、というところまで徹底していく。とはいえ、これは、より良い製品を作ろうというメーカー側の真摯さに、信を置くことができたからでもあったろう。
 だが、そこから現出する高度経済成長の社会は、こうした企業精神のモラルまで根腐れにするかたちで進んでいく。それが、水俣病のような「公害」を蔓延させる。つまり、企業と国家が一丸となって、商品の致命的な欠陥(生命への危険)を隠蔽し、経済競争だけをすべてに優先させるという、これもまた一つの新奇な文明である。
 理想を追求したはずの自分たちの「商品テスト」は、こうした社会も招き寄せてしまったのではないか? この自問が、晩年の花森をとらえていたと、津野は見ている。べつの言い方をするなら、これは、“原発には「商品テスト」ができるのか?”という問いでもある。
 答えは、ノー。国家指導者にも、メーカーにも、そんなつもりは毛頭ないという前提が、この不完全で世界大の“巨額商品”を支えている。それが私たちの時代なのだということを、傑作の伝記『花森安治伝』は視野にとらえる。

 (くろかわ・そう 作家)

津野海太郎『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』978-4-10-318532-1