書評

2013年12月号掲載

第二十五回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作

本が閉じているとき、その中では

――古谷田奈月『星の民のクリスマス』

石井千湖

対象書籍名:『星の民のクリスマス』
対象著者:古谷田奈月
対象書籍ISBN:978-4-10-334911-2

「本って、閉じているとき、中で何が起こっているのだろうな?」という『はてしない物語』の一節を思い出す。日本ファンタジーノベル大賞を受賞したあとのインタビュー記事によれば、古谷田奈月(こやたなつき)は小学生の頃からミヒャエル・エンデを愛読していたそうだ。『はてしない物語』のバスチアン少年のように終わらない物語を求め、「本って、閉じているとき、中で何が起こっているのだろうな?」という問いに魅入られてしまった人にちがいない。
『星の民のクリスマス』は、歴史小説家が4歳の娘に自作の童話を贈るところから始まる。「ことしのおくりもの」と題したクリスマス・ストーリーにのめり込んだ娘は、6年後の12月24日に姿を消してしまう。歴史小説家は娘の行方を探すうちに自分が創ったサンタクロースの町へたどり着く。
『はてしない物語』をはじめとして、主人公が物語の世界の内側へ入り込む話は珍しくない。本の虜になった人なら一度は見る夢だから、繰り返し描かれるのだろう。設定自体に新味はないはずなのに、今まで読んだことがない本を読んだという印象が残る。すごく不思議な小説だ。
 本書に出てくる雪の民の町は、あまりにも未完成で不確かな世界だ。一年中雪が降り積もっている。花は咲かない。星も見えない。住人は固有の名前を持たない。金色の称号を与えられた配達員と、銀色の称号を与えられた配達員がいて、年に一度、星の民が住む「外」の世界に贈り物を届ける。「外」のものを持ち込むのは禁じられている。社会のおおまかな仕組みは一応説明されるのだが、わからないことも多い。もやもやした部分はまだ存在していない。ずっと普請中という感じがするのだ。異世界が緻密に造形されていないことは欠点と見なされる場合もあるが、この物語では魅力につながっている。なぜなら雪の民の町の不完全な部分は、自分が創った世界であっても隅々までコントロールできない不完全な人間の想像力をなぞっているから。
 雪の民の町の創造主は歴史小説家だ。しかし、中に入ってみると自分が書いた童話とは大きく異なることに驚く。サンタクロースの姿は見えず、金銀の角を持った二頭のトナカイは人間になってスノーモービルに乗っている。秘密のはずの贈り物の中身も明らかになっている。「ことしのおくりもの」の唯一の読者であり、歴史小説家以上に作品世界に没入した娘の想像力が、町を作者のあずかり知らぬ方向へ展開させたのである。娘もまた「本って、閉じているとき、中で何が起こっているのだろうな?」と考える者だった。
 紙の上に刷られた文字のつらなりから、そこがどんな場所か、どんな人が暮らしているのか、書かれていない領域まで想像するのは愉しい。ただ、具体化にはむらができる。好きなキャラクターや、自分が気になるところは細部まで思い浮かべるけれども、他の部分は記号のまま置いておく。無意識に強く想像するものを選んでいるのだ。何を選ぶかで世界の見え方は変わる。脇役が主人公を食ってしまうこともある。本書におけるキツツキの子のように。
「ことしのおくりもの」にほんのちょっと出てくるだけのキツツキの子は、6年後の雪の民の町では、歴史学者にして特別配達員でもある天才少年に生まれ変わっている。饒舌で高慢で著しく協調性に欠けているために友達がいないキツツキ少年は、歴史小説家と娘の両方に接触し、世界の謎を解く名探偵のような役割を果たす。と、同時に世界を混乱に陥れる者でもあるところがいい。彼が終盤に広めようとする標語は傑作だ。私的流行語にしたいほど。
 作者、読者、登場人物。それぞれが自律的に動き、物語の中に新しい物語が生まれる。本を閉じたあとも、中ではきっと何かが起こっている。文字がざわめいている気配を感じる。物語のはてしなさを描く物語だ。

 (いしい・ちこ 書評家)

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