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書評・エッセイ

ミッキーハナゼクチブエヲフクノカアニメーションノヒョウゲンシミッキーはなぜ口笛を吹くのか―アニメーションの表現史―

細馬宏通

1,408円(税込)

絵と動きと音の王国、アニメーション映画はこうして生まれた!

1906年、世界初のアニメーション映画で、黒板に絵が描かれるのはなぜか。ポパイの歩行、ベティ・ブープの大きな口、『トムとジェリー』の音楽の魅力とは? アメリカン・アニメーションの傑作を読み解き、ウィンザー・マッケイ、ウォルト・ディズニー、フライシャー兄弟など、巨匠たちの表現技法の謎に迫る。(電子化にあたり図版を削除しました)

他領域へと広がる優れた「表現史」

細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか アニメーションの表現史』

大塚英志

 ぼくの如きアニメーションの旧世代のファンが驚愕するのはコンビニエンスストアの雑誌の棚に「ベティ・ブープ」作品の殆どが収録されたDVDが何の説明もなく売られていることである。YouTubeなどのサイトで検索をかければフライシャーでもディズニーでもマッケイでも黎明期のアメリカ産のアニメーションを見ることができる。むろんアメリカ産以外の、例えば東アジアで最初の長編アニメーション「鉄扇公主」だって同様である。SF作家の筒井康隆がベティさんのアニメーションフィルムをコレクションするために一体どれほどの私財と時間を費したと思う、なんて教壇で学生にぼやいてみせたところで通じない。かつて「恐竜ガーティ」について論じる英語の文章を必死に訳したところでそれを見ることが簡単でなかった時代の人間から見た時、本書はとても贅沢な環境で「読む」ことができる。
 その幸福をまず祝福するとともに、ぼくが著者の立場に共感するのは「表現史」という立ち位置だ。少し前まで教員をしていた大学で「まんが表現史」という講義をもち、まんがという表現の一つ一つの方法が歴史の中で立ち上がってくる様をぼくもまた説き起こしていたからである。
 だから第一次世界大戦下、フライシャーのアニメーションが軍の科学教育のために用いられた、というくだりなどは実に興味深い。戦時下の科学教育のツールとしての運命は日本のまんが史が十五年戦争下でたどる運命だからだ。ぼくの考えでは日本のまんが・アニメーションが現在の形式性を獲得するのは十五年戦争下だ。アメリカのアニメーションもまた科学的啓蒙のツールとして進化してしまうくだりを読むとその歴史をこの国が繰り返していることに気づく。アニメーションが科学的説明の技法として有効だ、というのは実は高畑勲が「おもひでぽろぽろ」の中の紅花栽培シーンで用いてみせたものだが、その出自は戦時下の科学教育映画としての「文化映画」にある。などと著者の記述からこの国のまんがアニメ史に照射すべき事柄をいくつも思いつくのは、本書が作品名や作者名の羅列でもアニメーション領域の内部に限定された蘊蓄でもなく、ごく自然に視覚メディア全体の近代史の中に接合できるような書き方がされているからだ。ぼくは著者が別の本で書いた明治期のパノラマについての記述に触発され、それが「のらくろ」の中に延命しまんがの「見開き」の起源となったことを学生によく話すが、そういう他領域への広がりを誘ってくれるところが著者の優れた点だ。それは本来、視覚メディアの中に、あるいは「文学史」さえも今のぼくたちが考えるほどジャンルとして単独ではありえずその歴史は重なりあっていることが著者の仕事では常に自明であるからで、それがフライシャーへの偏愛を語りながら同時に大きな広がりを持つ本書の特徴になっている。

 (おおつか・えいじ 国際日本文化研究センター教授)

細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか アニメーションの表現史』978-4-10-603735-1