書評

2013年11月号掲載

見えないものを見る

――宮本輝『三十光年の星たち』上・下(新潮文庫)

棚部秀行

対象書籍名:『三十光年の星たち』上・下(新潮文庫)
対象著者:宮本輝
対象書籍ISBN:978-4-10-130717-6/978-4-10-130718-3

 三十年という歳月は長い。赤ん坊は青年になり、青年は中高年から高齢者と呼ばれる歳になる。この「三十年」という尺度を意識して人生を生きよ、と「三十光年の星たち」は言う。手に余るほどの長い物差しを持つ意義を、この作家は、一年をかけた物語で伝えたのだ。「三十光年の星たち」は二〇一〇年の一年間、毎日新聞に連載された宮本輝さん十作目の新聞小説である。
「今の社会は若者の成長を待ってあげられなくなってしまいました。すぐに結果を求めてしまうのです」
 宮本さんが以前に話した現在の社会への違和感や嫌悪。この風潮に抗う堅牢な小説世界が、ここに創り出されている。
 三十歳の坪木仁志は家族から見放され、パートナーの女性にも逃げられ、仕事も長続きしない。金貸しの七十五歳の老人、佐伯平蔵から借りた八十万円も返せず、平蔵の仕事を手伝うことで借金を返済することになる。仕事とは、平蔵の運転手になり、焦げ付いた金を回収することだった。踏み倒そうとしている人物は関西一円に散らばっていた。仁志は自分の車の後部座席に平蔵を乗せて、京都の小路を出発する。
 物語の前半で平蔵は仁志にこう言っている。「現代人には二つのタイプがある。見えるものしか見ないタイプと、見えないものを見ようと努力するタイプだ。きみは後者だ」。煮え切らない仁志の性根を、老人は優しい眼で見つめている。月々数千円を三十年以上にわたって返済し続けた北里千満子、陶磁器店で修業中のトラちゃん、染め物職人を志す女友達の紗由里、魔法のスパゲティソースを考案した赤尾月子……。平蔵と師弟関係になった仁志の周りには「善き人々」が集まり始め、生きる力を授けていく。皆どこかで年月を重ねていくことの大切さを理解している人々だった。舞台は古都・京都。落語、ジャズ、クラシック、骨董品といった、歳月をくぐり抜けてきたスタンダードが物語に配され、一代の人間では把握しきれない時間の流れを感じさせる。「見えないもの」とは時間であり人の縁であろう。「三十年」というキーワードが仁志たち若者に語られていく。
 なぜ「三十年」なのか。宮本さんが「螢川」で芥川賞を受賞した直後のことだったという。ある人に作家としての決意を述べたとき、「三十年後の姿を見せてみろ」と言われたことが、この年月の原点になった。「三十光年の星たち」に登場する人生の先輩たちは、若者に同じような言葉を投げかける。歳月の尊さや、辞めずあきらめず「待つこと」の大切さを教える。一つの道で人間を磨くには三十年が必要だと語る。単行本刊行直後、宮本さんは作家、津村記久子さんとの対談で次のように話している。
「昔、『一人の人間を見るには三十年かかる』と言われたことがありました。その言葉の意味が、五十歳を過ぎて分かったんです。いろんな苦労を重ねることで自然に培われていくものがある。だから、どうしてもそれを書きたかった。あくまで生身の人間、庶民の生活を通して。今が書くときだと思ったんです」
 仁志やトラちゃんが冒頭、京都・丹後で森づくりのための苗木を植える場面がある。三十代の彼らでさえ、生い茂った森の姿を見ることはできないだろう。悠久の時の流れの中で、人は限られた生を生きることしかできない。けして刹那的になるのではなく、与えられた生を「三十年」という尺度を目当てに、精一杯生きるのだと願いを込める。
 忘れてならないのは、近年の「骸骨ビルの庭」「水のかたち」にも通じる戦争の記憶である。平蔵が金貸しを始めた遠景もここに置かれている。歳月や善き人々とのつながりを説く人物たちに脈打つのは、災厄をくぐり抜けてきた者が持つ強さである。戦後、私たちは二つの大きな震災を体験した。自然災害の脅威は年々増している。三十年後を想像するのは、若者だけの特権ではない。本書を読み終えた人のそれぞれが年齢にかかわらず、自身の三十年、大切な人や身近な人の三十年に思いを馳せることができればいいのである。

 (たなべ・ひでゆき 毎日新聞学芸部記者)

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