インタビュー

2013年11月号掲載

『村上海賊の娘』刊行記念特集 インタビュー

四年をこの一作にかけた。

和田竜

対象書籍名:『村上海賊の娘』(上巻・下巻)
対象著者:和田竜
対象書籍ISBN:978-4-10-134978-7/978-4-10-134979-4/978-4-10-134980-0/978-4-10-134981-7

――四年ぶりの新作、なぜ村上海賊だったのでしょうか。

和田 生まれは大阪ですが、生後三カ月で引っ越し、十四歳まで広島市内で過ごしました。両親に周辺の名所旧跡に連れて行かれ、そのひとつが村上海賊のいた瀬戸内海の村上水軍城だったんです。小学生の低学年だったか、その前か、それすら記憶にないんですが、そのとき買ってもらった村上家の家紋入りの赤褌(あかふんどし)が二階の子ども部屋にあがる階段の壁に飾られ、和田家では村上海賊は格好いい奴らとされ、その刷り込みがありました。書こうと思ったのは、小説家としてデビューして早々の頃のことですが、村上海賊は名前こそ知られているものの、何をやったのか案外知られておらず、『信長公記』などを読んでいると、天下の信長と戦った木津川(きづがわ)合戦という史実が出てくる。でも、この合戦そのものを描いた小説は自分の知る限りなく、見過ごされてきた印象があったんです。調べていくと、前哨戦は信長が被弾したり、総大将が討ち死にしたくらいの激戦で、また村上海賊と戦った織田方の主力は眞鍋(まなべ) 海賊という、同じく海賊だったと、面白いことがどんどんわかってきました。

――前哨戦から書き起こされ、主役は二十歳の娘、景(きょう)です。

和田 書くなら、前段階としての信長と大坂本願寺の合戦がその時点で七年目に入り、両者の和睦が崩れたところから始めなくてはと考えました。大坂本願寺の兵糧の受け取り先だった砦を織田方が攻め、次に海上封鎖を試み、支援に乗り出した毛利・村上連合軍と難波(なにわ)海で戦ったと書き進めないと、木津川合戦の実態がわからないし、関わった人間の実像も見えてこないように思えたんです。村上海賊を擁する毛利家が兵力でまさっていたという説もありますが、史料を照らしあわせると、必ずしもそうではなかった。

 また、単純な着想ですが、娘が軍船に乗り、舳先(へさき)に立って刀を抜いて吠えている姿を書きたいというのがあったんですよね。当時の村上海賊は能島(のしま)村上家の当主、武吉(たけよし)が瀬戸内海の大半を勢力下に治め、「海賊王」と呼ばれていたんですが、系図を調べると、実の娘の存在が確認できない。血を分けた娘がいなかったら、主人公を変えようとまで考えていたところ、松山大学の山内譲教授の著書に記述があり、先生にお訊きしたら『萩藩譜録』にその記録があると教えていただけた。「海賊王」の実の娘なら反骨で、過激なことをするだろうし、同時代、立花宗茂の妻女が合戦したり、安濃津城で夫を救った妻がいたという逸話もあり、女性が戦いに出るのは特異なことでなく、景をそのような戦国乱世の女性にしました。

――毛利はどちらに味方すれば、家は安泰かと模様眺めをし、織田方の武将たちも信長に従うかどうかで逡巡する。いかに家を存続させるかというのも、テーマのひとつですね。

和田 信長が台頭すると、織田や毛利などの大勢力に従う小勢力が増え、村上海賊も独立を保てた最後の時代でした。個々の武将の考えや人物像は合戦に関する史書だけでなく、生涯を調べ、肉付けしていきましたが、関わった人物があまりに多く、史料を探して読むだけで一年かかり、結果、四年をこの一作に注ぎ込むことになってしまいました(苦笑)。

――「大なるものに靡(なび)き続ければ、家は残るが、それはからっぽの容れ物でしかない」と意地を通したり、自分はどうありたいかと自問し、思うさまに生きようとする者に心が震え、シビれるシーンや台詞がいくつもありました。

和田 生まれ落ちたところで課せられるものがあり、他方、それを良しと出来ない自分もいる。そういった葛藤が顕在化し、己を解き放てる、その最たる場が戦国乱世の合戦だったように思います。また村上海賊や眞鍋海賊には束縛されない豪胆さや自由があったのではないでしょうか。

――なかでも際立っているのが景ですね。村上海賊はやはり格好いい。

和田 『忍びの国』で調べたときにも感じましたが、特殊な技を持った職能集団である忍びや海賊は武器が多彩になり、考えや生き方が違ってくるようです。海に生きた者どもが、特有の武器を駆使し、知恵と肉体の限りを尽くして、毛利や織田の単なる先兵としてでなく、自分の戦いを戦うさまも、お楽しみいただければと思います。

 (わだ・りょう 作家)

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